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クソみたいな世の中で抗いながら愛を叫ぶ

毎朝目を覚ます。
まず枕元のスマホを見る。大抵見るのはまとめサイトとかXのトレンド欄だ。
人間同士の愚かなやり取り、かつて好きだったコンテンツの崩壊っぷりを眺め、Xのトレンド欄のインプレゾンビ大量発生を見て「Xはろくに情報収集すら出来なくなったのか」と呆れながらため息をつく。

インターネットのあちこちで目にする誹謗中傷。
中世の魔女狩りの構図となんら変わっていない。
テクノロジーが発達したところで、中世の時代となんら変わりない人間がそこに存在する。

それから「もういいや」と起き上がる。
これが毎朝のルーティーンだ。

「もっとハッピーなものを見ればいいのに」
自分でもそう思う。時間の無駄だなと。
どうして朝からわざわざ嫌なものを見てうんざりした気持ちになるんだろう。
「世の中クソだな」と厭世的な気分だけが積み上がっていく。

この毎朝のルーティーンは、世の中のクソっぷりをあえて再確認しているのかもしれない。

自分一人が抗ったところで世の中はクソのままだろう。変わらない。
たまに起き上がる気力すらなくなりそうな時がある。無気力。
もしかしたらもう病んでしまっているのかもしれない。それすらわからない。

が、結局は起き上がる。

思い出せ。
楽しいものを創ろうとしている自分を思い出せ。

かわいいあみぐるみを、癒しのぬいぐるみブログを、素敵なイラストを、楽しい3D空間を、
その他たくさんの楽しい事をやろうとしている自分を。

思い出せ。
そんな事を思ったり思わなかったりしながら起き上がる。

クソみたいな世の中、周りが敵しかいないような錯覚に陥っているからこそ。
私は楽しいものを創ろうと足掻き続ける。

数年前の星野源のラジオの、星野源と米津玄師の対談が妙に印象に残っている。
星野源の「不思議」という曲について語っていた時のものだ。

世の中が素敵だからこの愛があるんじゃなくて、世の中がどれだけクソでも俺たちは愛を生むことができるし、この世の中のおかげで愛が生まれてるんじゃない、っていう怒りもあって。その中で描くものはめっちゃ温かいっていうか、僕が思う愛っていうのはかけがえのないものだって、そういう風にしたいなと。

星野源のオールナイトニッポン


こちらのサイトで対談内容を詳しく纏めてくれていた。ありがたい。
文字起こししてくれていたので、そのまま引用させていただいた。


彼らは第一線のアーティストだ。
星野源の曲なんか特に、明るい曲調のものも多い。
だがそんな明るい曲の中でも、どことなく陰を感じるのだ。
その陰が深みを出して、作品の魅力に繋がっているのかもしれない。


何度でも言う。世の中はクソだ。
だから人は何かに縋って生きていく。
それは宗教かもしれないし、ゲームやアニメなどのコンテンツかもしれない。スポーツの応援かもしれない。他人に縋って生きている人というのもいる。

だが裏切られる可能性もある。
最近でも、好きだったゲームがあからさまなコストカットの影響で(少なくとも私目線では)見るも無惨に落ちぶれ、応援していた球団はプロとは呼べないほど弱くチームとしての魅力が感じられないものになった。
好きだったシリーズの期待してた新作が全くの期待外れだった事は何度もある。
信頼していた友人にひどく傷つけられた事もある。

あぁ、世の中ってクソだなぁ。
もう何も信じられないな。

だからこそ、私は何かを創ろうとしているのかもしれない。自分の手で。
生みの苦しみは伴うが、自分は裏切らない。
裏切ってたまるか。

だから私は今日も足掻き続ける。
世の中に抗って愛を叫んでやる。

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