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なんにもかわりゃせんよ

ここまで来ると自分で自分を律することができなくなる。
自分の嫌なところも、仕方がないと諦めるしかなくなってしまう。

自分の良くないところが見えているのにそれが改善できないのはどうしてだろうね。おかしいな。もう始めて1年が経とうというのに、始めた時から何も変わってない。もっと大手クリエイターみたいな、大御所の立ち回りができると思ってたんだけどな。


そんなこんなでうつろは今日も通常運転です。がんばるためには他人の力が必要なのかもしれません。ところが集団化を好まない僕は誰の力も借りようとしないので、それができません。つまり成長しない。永久機関の完成だ!

いつもそうなんですね。
やるべきことがあって、やりたいことがあって。どれもできないから、とりあえずやるべきことをなんとか終わらせて、そのせいで力を使い果たしてやりたいことができずじまいになる。ここしばらくずーっと、僕は足踏み人間です。

ゲームみたいに自分の経験値が目で見えて分かったらな。それこそやりたいことをやってなかったらランクが下がっていくような、そういう切羽詰まった事情があれば、僕はやるんでしょうけれど。それすらも強制の力が突き動かしているにすぎないから、あまりいい気もしないのですが。


最近になってようやく睡眠に気を遣うようになりました。成長の第一段階の初期段階と言っていいこの気づきは、もっとずっと前から同期はみんな心得ていたようです。毎日6時間半くらいは寝ないと日中眠いようです。

つくづく自分が不完全な人間であると思い知らされます。世間的に見ればこれだけ「成功」したような人生を歩んでいるのに、ここまで失敗できるか、とか、これもまだ知らんのかお前は、みたいなことが多すぎて、落胆続きの毎日です。

それでも、こんな自分に価値を見出してくれる誰かがいるから、僕は生きていけるんだろうと思います。決してきれいごとではないけど、友情や愛情に救われて今があるのは事実です。


こんなに悩んでしまうのはきっと今の時代が急かすからでしょう。
これはできて当たり前、これが常識だと。

古代の人間というのはそれぞれ小さな集団で暮らしていたはずで、他の集団とは密に連絡をとっていなかったはずです。もしとっていたとしても、今のように世界中に顔と名前を知られるような人間なんているはずがない。だからその分、それぞれが自由に自分のしたいことをしていればよかった。

今は違いますね。行動の指針は常に他の誰かの指示に従う形で行われることが多いです。例えば何か買おうと思うのも「有名人が持っているから」が行動のトリガーだったり、自分で決めたとしても下調べに使ったサイトは他人の書いたものだったり。広く情報を発信する人間の基準でものを選んで、ことを考えて為す時代になったといえます。

そうなると「自分らしさ」が見えなくなってきます。有名人やネットの言っていることが民衆の常識であり、良識になってしまう。それに反する者は断罪され、嫌われ、立場を追われて棲家をなくす。ネット時代ってそういうことです。


僕らはこのネット時代で、どうやって生きていったらいいんだろう?
誰もがインフルエンサーになれる時代では、今は少なくともありません。
ならばコミュニティを狭めて、少しでも自分の生きやすい世界で生きてみたらいいじゃないの。

頑張ったって、自分の根っこはかわりゃせんよ。なんにも。
僕もそうです。ずーっと。大学に入っても、どれだけきつくても。
誰に叱られても、多分自分が納得しないと変わりません。それはほぼ断言できます。

いい加減な人生も愛せる人間であれればな。
もっと適当に生きてる人間を探してその人を見習う必要があるのかもしれません。
ただ少なくとも現在僕の周りには僕よりアホな人間はいませんね。
もっとアホな人たち、ここに集え!

ほら拡散して!
たまにはこんなこと言ってみたり。
一面だけ見せても楽しくないでしょ。


嵐の前の静けさってやつよ。
オエ。

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