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思った以上にハイデガー

図書館で借りたハイデガーの本を読み始めました。
いや、正しくは「ハイデガーの『存在と時間』について説明している講義を記した本」を読み始めたと言ったところでしょうか。一応原文 (計4冊) も別の図書館で借りてはみましたが勇気が出ず、まずは小手調べにとジャブを入れる感覚で頁を繰ってみた次第です。

一夜で半分まで読み切りました。ちょうど筒井先生が休憩をとった段階で終わっていて、今はそこに栞を挟んでいます。日が変わったくらいにもしまだ気力が残っていたら、今のうちに終わらせておきたいと思っています。講義実録ですから逐次メモもとりながらさながら授業スタイルで進めていますが、今のところはかなり楽しいです。そして大きな学びがいくつかありました。

まず第一に、この本を先に読み始めてよかった。哲学については全くのド素人の人間ですから、おそらくこの口語体で書かれたやさしい文章でなければ即座に挫折していたに違いありません。本文中に1箇所、原文から一部抜粋して説明している部分 (おそらくページ半分くらいの分量です) がありましたが、それだけでもうお腹いっぱいというか。とにかく同じ表現を何度も繰り返して、かえってまどろっこしくなっている印象しか湧きませんでした。筒井先生も読み切るまでに1ヶ月を要したというこの難解な哲学書を、返却期限のバレンタインデーまでに若葉マークをつけた僕が読み切れるはずがありません。仮に返却期限がないとして、おそらくホワイトデーになってもうんうんと唸っているのではないかと思います。読まずに返すのは悲しいので1回くらいは期限延長を打診してみようかとは思っていますが。

難解な文章と聞いてはいましたが内容はいたってシンプルで、筆者が感じた気づきを独自の用語として定義して、それを辻褄の合うように、整合性のとれるように一つのストーリーとして紡いでいくスタイル。用語のネーミングセンスには目を瞑るとして (まあ、元々がドイツ語なので仕方ないのでしょうが)、未知の分野に足を踏み入れたかのような心地でした。本文中にも「ハイデガーを読むにはハイデガーの辞書がいる」という旨の表現があります。用語の意味を紙に書き連ねていってよかった。

一夜で半分を睡魔に負けず読み切れたのは、何よりその内容が興味深いものだったからでしょう。僕がこれまで書いてきた「死ってなんだろう」「どのように死と向き合うか」といった主題の文章が、まあそれは見事なまでにハイデガーの理論とリンクしていました。読み進めていて「いやまじで、それな」と何度頷いたことか!僕は思った以上にハイデガーとシンパシーのある現存在だったようです。しかも自分の抱いていた謎が、ハイデガーによってきちんとひとつの体系的な答えを持って論説されている。喉の奥でつっかえていたモヤモヤが晴れたときのような気持ちよさが、僕を寝かしつけなかったわけです。

「存在と時間」を勧めてくれた友人には正直頭が上がりません。そして彼のためにも、ひとまず「誰にも〜」は読み切らないと、という使命感が湧いてきます。
問題はそこからです。おそらく原本を読んでもハイデガーを修了することはできないと思うので、どこまで突き詰めるのかが大事になってきます。やらずに後悔はしたくないので読み始めてはみますが、どうしようもなく理解できなくて挫折したらネットに頼って、それでも無理なら諦めます。記事を書くのはその後なので、ずいぶん先になるかもしれないですね。

とにかくこの数日で大きな一歩を踏み出したことは間違いありません。毎日コツコツ、休みの日にガッツリ、と高校時代の勉強でもできなかったことですが、「ハイデガー」という好きな科目ならなんとかやっていけるかもしれません。

期待せずに待っていてください。
おわり。

#雑談 #毎日投稿 #ハイデガー #存在と時間 #哲学


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