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続けられることは才能なのか?

今日、投稿しようと思ったらこんなことを言われた。

続けられることって、本当に才能なのだろうか?


6ヶ月連続投稿を達成した。
でも、続けたというだけで、何かこだわってやってきたとか、とんでもないフォロワーの伸びを記録したとか、そういうものではない。例えるなら、noteを書いて投稿するという一連の流れが、3食を摂取することや風呂に入ることみたいに1日の流れの中に入っただけと言っていい。

頑張って食事をする人はいないし、「よりよく体をきれいにしよう」と思って風呂に入る人もいない。ルーティンというのはこだわってやるものではない。

単に続けるというだけなら、ルーティン化して水準を下げてやってもいい。でもことnoteに関してはルーティンで終わらせてはいけないのではないかと感じている。
漫然と適当に文字の羅列を作っているだけでは、正直時間の無駄な気がしてならない。


暇でも暇でなくてもYouTubeを見てしまうタチで、ド素人の作ったものなんかもたまに見たりする。音MADなんかは特にアマの人が多くて (流行りに乗っかって誰でもいいから広めていこうぜみたいな流れがあるのも大きい) 登録者は数百人だったりすることもある。こういうのを見ていると、世の中には技術を持った人がこんなにたくさんいるのだと実感して恐ろしくなる。

noteにはぶっちゃけ技術はいらない。何か書くことがあって、それを継続して文字に起こしさえすればいい。たいして難しい課題でもないし、たぶん働いてからも続けられる。この気軽さが、僕を毎日投稿にいざなった所以であり、僕がとことんサボれてしまう理由でもある。

最初は1,000字から始めたからもっと楽だった。これでは簡単すぎるということで1,500字に増やしたけれど、それでもダメだった。結局は雑談を増やせばいいだけで、形だけの字数制限になってしまっている。僕の場合何について書くとか決めていないのもあって、忙しい時には適当になってしまう。少しのファンにスキをもらうことに最大限の喜びを感じながら、毎日3,000回くらいタイピングする。


結局何を改善すればこの問題が本当の意味で解決するのか、実際のところはわからない。文章なんて書きたいことを書いていればいくらでもできてしまう。続けることを目標にしたこと、続ければおのずと人気が高まっていくだろうという甘い考え方を持っていたことが、そもそもの間違いだったらしい。

思えば何をしようにも、とりあえず達成することを目標にしている。小説を読破すれば、アニメを見切れば、ゼミの資料を完成させれば。それだけで完璧で、時間が経つと内容については全くといいほど覚えていない。全部がゲームの実績解除を達成するような感覚で臨んでいる。それでは身にもならないし成長することがない。

僕はこの1年間で、成長できていたのだろうか?
もちろん、文章を作るという根本の面では大いに変われたとは思う。一日1,500字を欠かさず書くことは普通はない。何より時間をかけて達成していることだから聞こえがいい。周りにもすごいともてはやされる。

しかしその実、やっていることは述べたようにすごく単純で面白みもない。
面白みもない文章を書くだけだから読んでももらえない。まだ200人にも満たないフォロワー。1年続けてこんなだとは、始めた時には想像していなかった。もっと簡単に増えると思い込んでいた。考えの甘さが透けて見える。

タイピングも十分に速くなったが、毎日書いているにしてはミスが多すぎるのが玉に瑕。これも「やればOK」を続けている自分の性格ゆえのものだと言われたら、言い返せない。完璧主義を公言しているのは口だけで、頭では論理的思考も戦略的思考もあったものではない。やっぱり向いてないのかもしれない。


さっき、3年YouTubeを続けて無収入が続いているというnoteブロガーのプロフィール欄を見た。これはもう才能というより、努力の問題じゃないのかと思う。
努力しないと認めてもらえない。3年もやっていて何も変わっていないのは、僕みたいに続けることが全てだと思っているのか、あるいは投稿していないかの二択。

彼を反面教師に、僕はそろそろ変わろうと思う。
やることはやる。それだけじゃなく、いつも完全体を出す。これを目標に。
ついこの前、うっかり常人になってしまったので、できそうで仕方がない。自信だけは常に持っておく。

今日の記事はこれにて。
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