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浅チャパでやってる

友人に「浅チャパ勢だ」と揶揄されました。
どうもうつろです。

浅チャパというのは「浅瀬でチャパチャパ」の略だそうで (僕もその時知ったんですが)、とりあえずいろんなことに手を出してそれぞれを深く探究することはない人間のことを指すようです (たぶん)。
これは前にも記事に書きましたが、僕の強みは幅広い知識だと思われてるらしいですね。浅チャパだと言われるのも、いろんな知識を齧って知ってるからだということでしょうか。
正直かなり意外。

僕個人としては、チャパできるほど水位が高くないというか。とにかく必要最低限の知識だけを得て、効率よくことを済ませようとしてるなと思います。

高・大の勉強でもそうなんですが、とにかく集中力がなくて、情報を頭に入れていくだけの単純作業しか続けられないんですね。いろんな要素をこねくり回して深く理解しようとする高次で崇高な行為には向かないようです。だから意識的に自分が、みんなが「おもしろい」と思いそうなことだけをピックアップして優先的に取り込もうとしているのだと思います。

この塩梅が実にちょうどいいから、なんとかなってしまうわけです。そこには余計なところで運を使っているというのと、ヤバいとき特有の頭が爆発しそうになる感覚を敏感に察知できる力が関わっているように思います。
このセンサーだけはこれからも衰えないようにしておきたいものです。


最低限の努力をもってとりあえずの達成をするというのは、ぜんぜん楽しいものではありません。得られるものが少ないわりに自分の身も苦しめる、よくない薬と同じようなものです。

ギリギリでできるようになると、もっともっとギリギリを攻めようと怠惰になります。そしてとことんいらないところを削って、もっとサボれるように努力するようになります。しかも必死に勉強していたあの頃には、もう戻りたくても戻ることができない。負のスパイラルがこうしてできていきます。

最近なら院試で苦しめられました。あの頃は特に勉強がやりたくなくて (noteを始めたてというのも原因の1つにあったかもしれない)、とことんいらない (と思った) ものを切り落としました。英語は短時間での向上が見込めないのと1年分過去問を見ていけそうだと思ったので単語暗記以外は完全にノー勉でしたし、専門科目は3年前期だけ出ると踏んで後期の範囲をほとんどやらなかった科目もありました。

そのヤマカンと勉強法がとことん外れたせいで、大きく痛手を被ることになりました。1日目の筆記試験の時点からヤバそうな感じはしていて、不安でお腹が痛くなりました。家に帰ると謎の過呼吸が襲ってきて、体が悲鳴を上げていることを実感します。

2日目の面接では、教授陣から「この科目はできたと思う?」の嵐 (こういうのはたいてい「あなた、できてませんよ」の裏返しらしい)。「そっすね、まあ頑張りました」とバレきっている自分の非をニュアンスでオブラートに包んだままウダウダしゃべっていたら、いつのまにか面談時間が10分を超えていました。

最近になって教授に「ギリギリもギリギリだったよ」と言われたときは、予想はしてましたが相当焦りましたね。自分がもし院試浪人をしていたらどうなっていたのか、シュレディンガーなら見せてくれるのでしょうか。不安もありつつ、ちょっとだけみせてほしい好奇心もありつつ、変な感じです。


浅チャパ勢、正直やめたいです。これは単なる僕の記憶力の問題だったら申し訳ないですが、見たり読んだりした作品のストーリーをすぐに忘れてしまうのも浅チャパと言われる所以かもしれません。みんなが「線」で捉えているストーリーを、僕はいくつかの「点」に絞って捉えているというイメージ。そのせいでノリについていけなかったりと損ばかりしています。

ひとまずしっかり作品を享受し切るところから始めます。
本屋ダンジョンで買った本、そろそろ読み始めないとな。

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