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「後輩」の概念の乱れ

研究室2年目のこの4月、5人の後輩が入ってきた。
僕は先輩になった。これが4度目だ。

最初は中学2年生の部活のとき。小学生では下級生が上級生にタメ口を聞くのが当たり前だったのが、中学に上がると途端に敬語を話し始める。もっともこの頃は敬語というより「です・ます」の文語調になるくらいの差だが、それでも大きな変わりようだ。先輩と後輩はただの友達ではなく、そこには年齢の差ゆえの格差が生まれる。

その次は高校2年生の部活。中学の部活では、小学校から一緒だった先輩にタメを聞いたりする後輩もいたが、高校ともなると同郷の人も少ないのでより上下関係が明確化する。なかには敬語を強制するような怖い先輩がいる。一方でどの先輩も「くん」付けで呼ぶ後輩が出てきたりもする。先輩観と後輩観を考えると、他と比べて少しブレが大きいかもしれない。

3回目、大学2回生のアルバイト。仕事、もとい賃金が絡むと上下関係はさらに厳しくなる。2回生が1回生に仕事を教えるなど、自分が先輩であることを実感させられるイベントも多い。会話を交わすことこそあまり多くはないが、自分がたくさんの後輩を抱え、上に立っていることが実感できるので優越感がある。一方で自分が最上回生にならない限り、本当の意味での「先輩」にはなれないというジレンマも抱え続けなければならない。

そして今、修士1回生の研究室。
これまでの3回の先輩経験と大きく異なるのは、一緒に過ごす時間の長さ。部活やバイトという、たかだか数時間あるいは数日に一回のペースではなく、平日なら毎日のように日中の多くの時間を共に過ごすことになる。研究室内で話をするのはもちろん、ゼミで討論したり飲み会で食事をしたりと、関係はより密接になる。
今のこの先輩観が、自分はいちばん気持ちがいいものと思っている。


理由はいくつかある。まず1つ大きいのが、どんな自分であっても「後輩」でいてくれる後輩たちだから。
うちの大学には浪人で入った学生も多い。その証拠に5人中2人は僕と同期だ。早生まれだから、もしかしたら生年月日で見れば僕より先輩かもしれない。
それを知って、こちらから「同級生だよね」と口にしてみてもなお、彼らは敬語を使ってくれる。僕を先輩でいさせてくれる。彼らなりの処世術なのだろう。
口にはしないその心遣いが、実はけっこう嬉しかったりもする。

気楽に話せる、というのもある。
同期のひとりが大学院に進まなかったせいで、僕の代は4人から3人に減ってしまった。しかもそのひとりが割と仲のいい男子だったこともあり、少し寂しい心模様。そんな僕の話し相手になってくれたのが、B4の5人だった。
彼らと話をするたびに、みんな人たらしで、人懐っこいパーソナリティを持っていると痛感する。優しくて、人が良くて、まっすぐ。そんな彼らは太陽のようで、その眩しさに失明しないように、僕の右目は少し髪に隠れている。


そんないい後輩に恵まれながら、後輩という概念の乱れに悩み始めてもいる。

僕は研究室内で先輩ヅラをしていない。その理由がないからだ。
先輩と呼べるほど成長している自信も、威厳もない。だから自分の恥ずかしい過去や差し迫った悩みまで、後輩にも簡単に打ち明けるようになってしまった。

そんなめんどくさい先輩にも、彼らはうまく対応してくれる。僕がギリギリで院試に受かった話を続けても決してバカにはしなかったし、下宿を始めたいが物件の絞り方がわからないと相談したら役立つ知識を提供してくれた。

ふと思う。
僕にとって後輩は、ただ話しやすい友達になっているのではないだろうか?
みんなの人の良さに甘えて、先輩という立場を利用して、無理やり都合のいい話し相手を作っているだけではないのか?

僕の理想とする先輩像からは、今の自分は程遠い。
これから先、愛想を尽かされることのないように、少しは先輩でいられるくらいの自信と覇気を身につけないといけないと、と心から反省しつつ、今日もまた研究室に遅刻した。

こんな先輩ですみません。
明日から本気だす。



p.s. たぶんこのnoteのことは後輩は知りません
バレたら詰む やべえよ


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