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広げても広げても我が視野は猫の額なり

自分中心の物の見方から卒業するには、どうしたらいいのでしょうか。

私たちは、それぞれ自分の生きてきた人生、見てきたもので価値観が作られています。
世の中を見るときに、自分というフィルターを通さずには見られません。
自然と、自分なりの解釈を加えて物事をとらえていますね。


それが個性であり、自分らしさでもあるのですが、
時に視点の少なさのせいで泥沼にはまったり、
悩まなくていいことを悩んだりしてしまいます。


生まれてから大して場所も移動していなくて、
大学に入ってからこれまで医療の世界という狭いところで生きてきて、
視野の狭さがコンプレックスになっていることに気がつきました。


海外生活はおろか、東京都以外に住んだことがなく
兄弟もいなくて
病院もそれほど多く勤務してきていない
大学生の頃も、バイトといえば教育系ばかりで
飲食店とか他の世界を見る余裕などなかった。。。
ああ、なんて私は狭いところに暮らしているのだろう、、、、と
引け目に感じ続けているのです。


だから私は新しいことにどんどんチャレンジしたくなるんだ。


色んな知り合いが増えてきて、
勝間塾であった人、コーチング仲間、バレエ教室で会った人、、、
普通に仕事と家庭の往復だけでは出会えない人に会えた喜びは沢山あるのですが、
それでもなぜか自分の世界は足りない、と思ってしまいます。


なぜだろう。


もっと行動範囲の狭い人は沢山いるけれど、
その人たちに対して視野が狭いねと批判する気持ちはないのに
どうして自分には狭いと言いたくなるのか


このままじゃ、どうなってしまうという恐れがあるのでしょうか。


この世のことをそんなに広く知ることなどできないのに、
私は自分に何を求めているのでしょうか。
無駄な優等生意識とか、そういうものからくるのでしょうか。

、、、そう考えると、しっくりきます。


思い切って世界にでも旅だったら
自信を持って広い視野を持てたっていうのでしょうか
それとも、広げ続けないと不安なのでしょうか。
きっとその時になってみないと分かりませんね。


自分が育ってきた環境がいかに特殊なものだったか、
わかっていたつもりだったのに、
まだ理解しきっていなかったことを時々感じます。
子どもの進学ということに目を向けた時、
選択肢は、ちょっと私が広げたくらいの視点よりも
もっとずっと広くて多くて、
それを知っている人がうらやましい。


私の持つ視点は、
広げても広げても猫の額みたいなものだけれども、
せっかくなら幸せな猫でいよう。


♪♪♪
コーチングプレイス認定コーチ 
眼科医mayu より。





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