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23.休職期間は休みの練習

自分にOKをいうこと

リワークで人と人の心の境界線であるバウンダリーのテーマで
「自分にOKをいうこと」というテーマがあった

「メンタルが弱ってくると、ひとは自分にどんどんOKを言えなくなる」
それをリワークの先生に言われてハッとした

思い当たりがありすぎて少し吐きそうになるくらい
not OKの連続だった

そして「いやいやいや」とかき消して
後回しにしていた凹みや、さっきあー言えばよかったのに
と一人でダメ出ししていた時期が2-3年あったと思う

リワークの先生の話を聞きなが それもこれも
今を否定しないと次に進めない癖があるんだろうなと気づいた

否定して進むのと
否定しないで進むのだとどっちがカロリー使うのか
というと前者なのに、わざわざ否定を選んで鞭を打つ

だめだ!という反骨精神は
時には大事だけど連続して使うもんじゃない

今まで私はこのカロリー計算をしてなかったことを
約40年で最も「持っとくべきだった計算スキル」だった気がする

否定しようが肯定しようが、次に進むためにできることを
立ち止まって考えてよかったのに
立ち止まることをもったいないと捉えて
呪いのような否定を掲げて、無理矢理お尻を叩いて起こした気持ちを
奮い立たせることで自分を保ってきたのだと思う

「否定しなくていいんだよ」
という言葉は、多分今までもいろんな自己啓発本で読んできたけど
イマイチしっくりとこなかった、いや受け取ることができなかったと思う

なぜかというと否定しないことが甘えである
否定した方が楽だからだったと思う

でも否定も肯定もしないOKでいいんだという
三番目の選択肢
その気楽さを実感できて
私はすっと肩の力が抜けた気持ちになった


自分に言いたいOK「休みを楽しんでいいということ」

リワークの後半でこれまで「OK言えなかったけど言っていいと思うこと」を
書き出すワークがあった

書き出すと結構どんどんかけていった

その中で一番多かったのが
休職している今に関すること

勿論数週間で戻ってくるんじゃないかなと思ってた
同僚を一年近く放置してしまったという後悔などもしなくていいこととしてOKのリストにあげたいと思ったが
「休むこと」について自分が自分にOKをしっかり出しきれてないことに気づいた

  • 毎日社畜のように働く家族がいて

  • リモートでは休憩時に顔を合わせて気まずい

  • どうしても体が重くて真っ昼間から横になっている頻度が高いといいよなと言われる

  • 会社の先輩にいいなロンバケと言われたこともある

  • 保育園に行くとあくせく働いているママと一緒になることがある

  • 保育園は働いている親子のためにあるのに

  • 休職中も毎日預かってもらっている

  • 5日過ごしたらみんなが休みで少し気楽になる土日が来る

約十数年働いて有給もたっぷり余らせて生きてきた自分としては
休みにそりゃ慣れないわというのは仕方ないと思うが
どうしても休みはあくまで復帰する・仕事をすることを最優先にして
そのために休んでるんだ!と感じてしまっていた

そのため「休むのはOK」だが「休みを楽しんではいけない」という感覚が根強かった

楽しいというのはそんな派手な出来事や感情を求めていっているわけではない
心からその場を楽しんだり、そもそも自分が平日に会社とは逆の電車に乗っていたり、昼間にカフェにいたり、株価をみたり、疲れたらケーキを追加してのんびりしたりする一つ一つの行動を親しむ、足を引っ張らないといったことを楽しむと表現しているというかんじ

例えば観光地に来てせっかく来たんだから楽しもうという自然な感情を
この休職という「休み」に感じることはできなかった

楽しもうと思わないようにしなくては
要は
休むなんて本当はだめなのに、申し訳ない、そういう気持ちをもって行動してなくてはいけない、会社員なのだから

そんな感じ

でもそれは一番気が休まないポイントだったのかもと思う
会社からどう思われるか、それが気がかかりとして残り続けてしまうからだ

誰かと飲みにいって酒を飲んでも
酒を禁止にされてないから飲めるんだとわざわざ説明したり
飲んだことを内緒にして欲しいと頼んだりしていた

休職という期間を、なぜか謹慎のように扱っていた気がする

だから土日の旅行でも、少し贅沢な食事をするにしても
罪悪感が付き纏った

OK出してみようというリワークのテーマ
誰に見せるものだったんだろう

そのOKが言えないことで、どんどん体調が悪くなったり
よくなるのを阻害していたら本当に意味がないのだ
私の休職は何のためにあったのかを気づけていなかった

療養してください、という会社のメッセージを
謹慎しながら療養してください、と読み取ってしまっていた

休みなのに手当が出るいまは
仕事ができるようになるために回復するための休み

回復になると信じて自分が良いと思った「休みの行動」は
ためになるかどうかをしっかり考えた予定であれば
私が休みの中でとる行動として問題ないはずだ

その行動を楽しむことを止めてしまうと
自分は謹慎モードに入ってしまうので
「楽しむ」という要素を持つことにOKを持とうと思う

健康な人から見たら「楽しみ」はハードで
アクティブに見えるかもしれないが
今の体力と精神力の私の「楽しみ」はエクセサイズ程度の
ダメ出しをしないでやりたいことを自分自身が許容する程度の意味だ

そしてこの休職期間は、あくまでまた仕事をする時が来たら
無理をしないための「休みを取る練習」として過ごしていきたいと思う
自分が自分らしいるために




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