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インプロの理論を学ぶことは必要か?

先日行ったワークショップで、参加者のひとりから「理論の勉強は必要ですか?」と質問された。これはとてもいい質問で、同時に繊細な質問でもあるので、僕の考えをまとめておこうと思う。

結論から言えば、「世界のいいインプロバイザーたちはみんな理論も知っている」である。インプロバイザーというと「にぎやかな人」というイメージがあるかもしれないが、僕が知っている世界のいいインプロバイザーたちはみんな穏やかで、そして知的な人たちである。

だからもしあなたが本当にいいインプロバイザーになりたいのなら、インプロの(インプロに限らず、演技や演劇の、そして幅広い)理論を学ぶことも必要だと思う。

一方で――

理論を学ぶことはその人を不自由にする可能性もある、というか一回不自由になる可能性のほうが高いのがインプロにおいて理論を学ぶことの難しさである。

多くの人は、理論を学ぶと「それをしよう」としがちである。しかしそれでは人は自由に(スポンテイニアスに)なれない。そして何をしても面白くないインプロになってしまう。

インプロの理論、特にキース・ジョンストンの理論は、「自分がすべきこと」ではなく、「自分がしていること」に気づくための理論だと僕は考えている。(インプロの流派によっては「すべきこと」を書いていることも全然あるけれど、一旦置いておこう。)

『Impro for Storytellers』の記事でも書いたけれど、キース・ジョンストンのインプロでは「こうしなさい」と言うことはほとんどない。そのかわり、「多くの人はこうする(それがストーリーを止めている)」という言い方をする。

そこには「人間は本来即興でき、ストーリーを進めることもできる」という基本的な、そして禅的な考え方がある。

こう言うと、「やっぱり理論を学ばなくてもできるじゃないか」と思う人もいるかもしれない。たしかに、あなたが自分がやっていることに気づけるのであれば答えは「Yes」だろう。しかし、人間はなかなか自分がやっていることに気づけないものである。そして同じことを繰り返していたり、望んでいない方向に自ら進んでいることもある。

例えば、ある種のインプロバイザーはストーリーを壊すゲームの提案ばかりをする。ショーの最初はストーリーを壊すゲーム、次もストーリーを壊すゲーム、そしてストーリーを壊すゲーム、といった具合だ。インプロの面白さはストーリーだけに限らないから、それが本当にやりたいことなら僕はそれでいいと思う。しかし、そもそもそのことに気づいていないことのほうが多いだろうと僕は思っている。

キース・ジョンストンのインプロの理論を学ぶことは、そういった自分に気づくためのものだと思っている。そしてそれは、あなたがやりたいことをやるための助けになるだろう。(そしてもちろん人の助けにも。)

とはいえ――

やっぱり人は理論を学ぶと、それを「正解」として捉えてしまいがちである。そして「自分は正解だったか、不正解だったか」という基準で見てしまう。そこには学校教育によって刷り込まれた強力な習慣がある。

だからインプロを学ぶことは、「理論」との付き合い方を学ぶことであり、同時に「学び方」について学ぶことでもある。

僕は今『Impro for Storytellers』ワークショップをしているが、そこでは「やるときはやる」「ふりかえるときはふりかえる」と言っている。

やるときから「これは正解だろうか?」と考えていては何もチャレンジできなくなる。一方で「やりっぱなし」でもあまり変わらない。その両輪をまわしていくことについても学んでいる。

理論はあなたを「正解」「不正解」に分断するものではない。あなたに気づきを与えたり、インスパイアしたり、新たな可能性を見せたりしてくれるものである。

その過程ではやっぱり「正解」「不正解」に陥ってしまうこともあるけれど(僕もいまだに全然ある)、それにも気づいて、落ち込まず、進んでいけばいいと思っている。そうしたら、あなたはいつの間にか以前よりも大きなあなたになっているはずだから。

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