身体の赤信号 犀になって歩こう

数日前、寝違えました。
ここ数日、肩から背中にかけて、ぴりぴり痛みがはしってます。


寝違えるなんて以前からよくあったことですし、数年前から寝起きは爽快というより身体が硬いとか痛いってことがよくあります。
そんなときの睡眠の状態は、歯ぎしりしてたかのように、妙に身体に力が入ってるのを、寝てるときから感じていたりしてます。

すると起きたら身体がこわばってたり、こうして寝違えたり。


疲れがたまったかな、って思うのはいつものこと。
ただここ最近、いや数年かな、相当無理して走ってきたかもね、っていう自覚もあります。ちょっとくらい休めばいいやんって、言ってくださる方も多かいのだけど、止まったら死ぬんじゃないか、っていう恐怖は、マグロ並にあるので、なかなかそうはいかないもんです。

風邪引いたら根性で治したし(ホテルで布団かぶって大汗かいて一晩で直す)、足首が真っ赤に腫れ上がり謎の激痛が走っても気合いでお客さんの忘年会には顔出して(さすがに二次会は歩けなくなって白旗でしたが)、接待で吐いた夜に設計書書くなんてことも当たり前だった。


そんな自分にとって寝違えなんて日常茶飯事。
蚊に刺されたくらいのもの。だったのに。

なんだか今回、少し気分が違う。

確かにちょっと症状はひどくて、頭に血が回ってないのを感じるし、手足の先の冷えも一段ひどくなり、気分がわるかったり、目がかすんだり。。。
疲れがたまってるのが重なったのか、なんか自分の身体からくる赤信号を紳士委に捉えておりました。

基本的に病は身体の赤信号と受け止めるようにはしてるんですが、そんなとき天外塾の学習仲間の和みさんが、こんなことを書いておられて、うーん、確かに体調崩すのは悪いことと信じとるかもしれん、と感じたんですね。

体調崩したのをそのままうけとめて、ちょっとゆっくりやってもいいんやないか、と思うようになってきたわけです。
なにを小さな事を気にしとるか!と思われるかもしれない(てか心の中で別の自分がそう叫ぶ)。

だけど気づきはほんのささいなことがきっかけになるかもしれない。
過去の偉大な僧が悟った決定的瞬間でさえ、躓いたつま先の痛みの中や、カラスの鳴いた声の中だった、って話も聞く。

私なんてまだまだ甘ちゃんだ。
無理もしなきゃまだまだ伸びない。

でも。
たまにゃ自分の心と体を顧みようぜ。
不調は不調でいいやないか、と思い直してみました。

自分の身体からの警告を真摯に受け止め、ゆっくりと犀の角のごとくただ独り歩んでいこう。

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