「わかる」ためのイメージ

 今日、こんな本を読みました。
物理数学の直感的方法

この本の何が素晴らしいかったって、物理を考えるうえで必要な数学の本質を、シンプルでわかりやすいことばで語ってくれているところ。


例えば「divとrot」

理系っ子の多くが涙し挫折した概念じゃないでしょうか。
少なくとも私はこの辺でぺっこりお陀仏。このアイテムにやられて電磁気学の履修を諦めたようなもの。4年間かけて必死にやっても「可」程度の理解しか出来なかったこの概念を、なんと、数分でつかめるなんて・・・・。

一言で書いてみると、

 divは、ある小さな箱部(ベクトル場)を過ぎる流れがxyz方向各々にどれくらい増えたか、その流量の増加分。

 rotは、ベクトル場を水流と考えたとき、その流れの中にある微少な水車の回転速度。

おぉ。もちろん、もう少しは詳しく解説されているのだけど、概念の本質をみごとにとらえたコアのイメージを、すぱっ!と。そういうことやったんか・・・と、ぱっと広がるイメージに感動。
てか、divとかrotということばで電磁気学の学習をほりなげた、あの頃の自分に教えてあげたい!


当時の自分が、なんでそんなに理解できなかったって、まさにその概念が示す世界としての、絵や全体像がなにもつかめなかったから。授業中はただただ数式を眺めて覚えてた。

ずっと「理系」というくくりで学んできて、論文なんてものを書いたりもした。だけど、数学の本質なんて理解も出来ず、大学では自分の研究における数学的表現の意味でさえあいまいなまま、ぎりぎり卒業させてもらった気がする。

この本の序文にはこんなことが書いてあります

「なるほど厳密さをいうものを無視したならば、数学の体系がどれほどぼろぼろになってしまうかは容易に想像がつく。しかしながら数学とは本来道具なのであって、そうであればこそ理工系の必須科目になっているのである。もちろん純粋数学の価値を認めないわけではないが、道具としての使い勝手を忘れては本末転倒である」

そう。まさにそう。
数学の厳密さより、その数式が示す世界のイメージ。ものを作ったり動かしたりするための「道具」として、その使い勝手をもっと知りたかったんだ。


さてこの本から感じた大切なことのひとつは、「ものごとの本質を理解しようと思うと、細部や厳密さよりイメージが大切だ」ってこと。

あたりまえのようだけど、今のビジネスの世界で周りを見渡しても、おんなじような失敗や苦労があちこちで重ねられてる気がします。
目の前にある仕事に振り回されるひとの多くは、本質的に「なぜその仕事に取り組んでいるか」ということをちょっと客観的に捉えたりする目線がないことが多い気がします。
目の前で数えてる商品の個数や、向かうパソコンの画面にちらつく表計算ばかりが仕事となれば、そんなにつまらないことはないと思うのです。

営業だって、製造だって、事務だって、全体像や本質をイメージ出来るからこそ、日々楽しんで雑多なお仕事にも向き合える、そんな気がしました。


もちろん厳密さも大切なこと。
神は細部に宿るのですし、そうした細やかな組立のうえに、完成度の高い全体ができあがる。だけど、厳密なものを隅々まで理解する前に、全体を見失うんじゃ、本末転倒に思うんだけどどうだろう。

人口に膾炙した喩え(イソップ童話)だけど、レンガ職人の話がある。
3人目の職人には、厳密さの技術に加えて全体像をつかむイメージがあったはず。モチベーションの例としてよくとりあげられるけど、仕事の質をかえる意味でもイメージの力を再認識させられたのでした。

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