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チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の曲目ノート

友よ 君が言葉のごとく おおどかな天の恵みを
私はむなしく さげすんで来た。
 わたしは知る――のどやかなミューズの教え
つれづれの日々 夢見ごこちのよろこびや

——アレクサンドル・プーシキン(金子幸彦 訳)
『プーシキン詩集』(岩波書店、1953)より

1

 「四大ヴァイオリン協奏曲」というのがあるらしい。ベートーヴェン(1770-1827)、メンデルスゾーン(1809-1847)、ブラームス(1833-1897)、そしてこのチャイコフスキー(1840-1893)の作品を、まとめてそう呼ぶそうだ。何かにつけて「ベスト○○」などと呼びたがるのは、現代人の哀しき性であるにせよ、これら四曲が古今東西の聴衆を魅了してきたのは疑いの無い事実である。ところで、この四人の作曲家はヴァイオリンを弾かなかった。人並みには弾けたかもしれないが、ヴァイオリニストとしての活躍は無かった。だから、作曲には彼らの「友」が大きな役割を果たした。メンデルスゾーンなら盟友ダーフィト、ブラームスなら巨匠ヨアヒムがそうである。

 それでは、チャイコフスキーの「友」は誰か。この曲の成立に関わる三人のヴァイオリニストを紹介しよう。

2

 1878年、早春。チャイコフスキーは弟モデストと共に、スイスの小村・クラランを訪れた。雪解水が流れ込む美しいレマン湖。そしてその対岸には、アルプスの高峰ダン・デュ・ミディ山("歯牙山")が聳え立ち、その冠雪は未だ厚い。「エヴゲニー・オネーギン」という大作のオペラを書き終えた作曲家は、兄弟でゆっくりくつろいでいた。と、そこへチャイコフスキーのとあるパトロンの遣いで、かつての生徒ヨシフ・コーテクがやってきた。彼はモスクワ音楽院でチャイコフスキーに学び、卒業後も親しくしていたヴァイオリニストで、現在そのパトロン家の音楽教師をやっていた。教え子との思わぬ再会に喜んだ作曲家は、コーテクが携えてきた最新のヴァイオリン協奏曲の楽譜(フランスの作曲家ラロの「スペイン交響曲」だったらしい)に触発されて、僅か一か月余りで本作品を仕上げた。

 さて帰郷した作曲家は、早速完成した協奏曲を演奏してもらおうと、ペテルブルク音楽院教授の、名教師として名高いレオポルト・アウアーのもとへ訪れた。しかし、楽譜を見たアウアーはこれを「演奏不能」として拒絶する。ところで、この有名なエピソードは、アウアーの自伝の中には現れない。彼曰く「ヴァイオリンに不向きな箇所の改訂が必要だったが、忙殺されているうちに他の人物に初演されてしまった」。真相は不明だが、後年アウアーはアメリカへ移住したあと、この曲に改訂を加えて各地で演奏している。また彼の弟子たち(例えばハイフェッツ)も本作品をレパートリーとしていたことなどから、作品の価値自体は認めていたようである。

 最終的に協奏曲は、作曲家と同じモスクワ音楽院教授のアドルフ・ブロツキによって、ウィーンで初演された。時は1881年12月4日、実に作曲から三年半ほど経っていた。その初演では、聴衆は野次を飛ばし、批評家は酷評し、チャイコフスキーは大いに落胆したらしい。しかし、ブロツキはこの作品の真価を信じ演奏し続けた。聴衆たちも次第にこの曲の良さを理解し始め、現在では「四大ヴァイオリン協奏曲」の一角に数えられるほどの人気を得るに至っている。

3

 ここまでコーテク、アウアー、ブロツキという三人のヴァイオリニストを紹介しつつ、本作品の成立を追ってきたが、ここで冒頭の問いに立ち還りたい。果たしてチャイコフスキーの「友」は誰か。

 ここで、譜例1を見よ。

空の彼方へ飛翔せんばかりのこの旋律の、なんと清らなることか。
 譜例3を見よ。

冬の炉端にて追憶するがごときこの旋律の、幽寂たること極まれり。これ即ち、プーシキンの云う「ミューズの教え」なり。

 ミューズとは、ロマン派の芸術家たちがこぞって引き合いに出してきた、ギリシア神話の文芸の女神である。芸術家たちは、インスピレーションを得た際にミューズに感謝し、また創作意欲を湧きたててくれる女性を、吾がミューズと呼んだ。ロベルト・シューマンの妻クララは有名な一例である。
 本作品に溢れる美しく抒情的な旋律の数々は、まさしくミューズの賜物である。そこには、古典主義者ベートーヴェンや保守的なメンデルスゾーン、ブラームスにおけるような、奏法等を相談するヴァイオリニストとしての「友」ではなく、ロシアの情熱の詩人プーシキンが云う「ミューズの教え」を与えてくれる「友」の存在を認めずにはいられまい。その人物とは、コーテクの雇い主で、チャイコフスキーの支援者として名高い、ナジェージダ・フォン・メック(1831-1894)である。

 彼女に対する作曲家の想いを知るには、次の一通の手紙を挙げれば足りるであろう。

私はこよなく仕合せだ。極めて平静である。このことは仕事の成功にとって重要な原因だが、その点では今の私は申しぶんない。私の健康は、私の今の状態を幸福といいうるような、すばらしい状態にある。私は今どうしても思いださずにはおれない。これらのことはすべて誰のおかげかと。私が思うままに呼吸でき、一日が生活と自然への愛でつらぬかれているのは誰のおかげかと。

——園部四郎 著『チャイコフスキー物語』(岩波書店、1968年)より

 音楽を愛好する未亡人メックは、チャイコフスキーの熱心なファンであった。1876年に仕事を依頼して以来、文通を続け、金銭面と精神面における誠実な援助を続けた。二人の書簡は大冊三巻に及ぶそうだ。一方チャイコフスキーも、メックに憧れていたようである。十四歳で母を失ったチャイコフスキーにとって、心に思い描く女性の理想は、優しい母親だった。そんな彼にとって九歳年上の、大人びた貴婦人は、さながら彼がオペラにしたプーシキンの『オネーギン』における純粋で誠実な女性、タチヤーナを思い起させる。
 ヴァイオリン協奏曲が完成したのは、作曲家が婦人に心を開き始めた時期と重なる。彼はその後、婦人に第四交響曲を献呈するまでに至るが、ついぞ一度も会うことはなく、1890年に文通は途絶える。その第四交響曲の扉には、こう書かれている――“わがよき友に捧ぐ”

 純粋な想いの所産たる本作品は、メック婦人の支援がなければ生まれなかったであろう。彼女はまさしく、作曲家の「友」であり「ミューズ」の役割を果たしたのだった。

第1楽章 Allegro moderato-Moderato assai
ニ長調 4分の4拍子 ソナタ形式

 序奏は穏やかに始まる。クレッシェンドしてトゥッティのfまで盛り上がった後、俄かに収束し、独奏ヴァイオリンが演奏を始める。

この第1主題は、ヴァイオリンが翼を得て、沃野千里を羽ばたいていくかのような、大きなスケールと自由さを持っている。次に奏でられる第2主題[譜例2]は、一音一音、優しい声で語り掛けるがごとく心に響く、優美な旋律である。

 第1主題がトゥッティで華々しく奏され、展開部が始まる。独奏の技巧的な変奏を経て、ロマのように重弦を響かせてソリストのカデンツァに入る。アルペジオに次いで、第1・第2主題も現れる、大変聴き応えのあるソロである。そこに、一筋の光が差し込むように、フルートが第1主題を奏で、再現部を迎える。提示部と同じく第1・第2の順で奏されたあと、ニ長調の音階を駆け上がるコーダで華々しく結する。

第2楽章 Canzonetta. Andante ト短調
4分の3拍子 三部形式

 木管によるうら寂しい序奏に続いて、独奏ヴァイオリンがCanzonetta――小唄をもの悲しく歌いゆく。

遠く過ぎ去った昔のことを、ひっそりと思い出すかのごとき旋律である。中間部では変ロ長調に転じ、希望に満ちた明るい旋律が奏される。

しかし、長くは続かない。またやがてもとの郷愁[譜例3]へと立ち戻る。この楽章の音楽は私に、次の一節を思い起こさせる。

愛する人のおもかげを想像によみがえらせようとすると、過去の思い出があまりにもたくさんわきおこって、ちょうど涙を通してみるように、その思い出を通して、おもかげがぼんやりとしか見えないものだ。それは想像の涙である。

——レフ・トルストイ(藤沼貴 訳)
『幼年時代』(岩波書店、1968年)より

第3楽章 Allegro vivacissimo
ニ長調 4分の2拍子 ロンド形式

 前の楽章から切れ目なく続く。決然とトゥッティで急速な主要主題が提示され、息もつかせずヴァイオリンのソロが始まる。

ところでロンドというのは異なる旋律をはさみながら主要主題を繰り返す楽曲形式のことであるが、この楽章では単なる形式の枠を超えた、舞踏歌としてのRondeau(ロンドー)が作曲家の鮮やかな筆致によって生き生きと現れてくる。彼の種々のバレエ音楽を知っている人にとっては言うまでもないことだが、チャイコフスキーは世界の民衆の踊りを――もちろん、祖国ロシアの踊りも――愛した。初演のとき、ウィーンの批評家はこの楽章を「安酒の匂い」とか「悪臭を放つ」などと非難したそうであるが、どうして音楽から、きついヴォートカの香りや、ロシア農夫の土の臭いがしてはいけないのだろう。
 合間にはゆったりとした部分もあるが、独奏ヴァイオリンは終始弾きまくり、踊りまくり、ロシアの大男たちの笑い声を聞きながら、幕切れとなる。

【参考文献】

●『チャイコフスキー バイオリン協奏曲』
園部四郎 解説 全音楽譜出版社(1958)
●『チャイコフスキー その作品と生涯』
クーニン 著 川岸貞一郎 訳 新読書社(2002)
●『作曲家・人と作品シリーズ チャイコフスキー』
伊藤恵子 著 音楽之友社(2005)
●『レオポルト・アウアー自伝 サンクト・ペテルブルクの思い出』
レオポルト・アウアー 著 角英憲 訳 出版館ブック・クラブ(2018)

(2020.4.17)

 これは私が大学生の時、演奏会のプログラムに載せるために書いた、チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35』の解説文(曲目ノート)である。何か音楽についての文章を書きたい、という欲求を、このときの私は、このようなプログラムノートを執筆することで満たしていた。それと同じことを、私はこのnoteの中でやりたいと思っている。
 本文は、note上で読みやすくするための手直しを少し加えただけで、ほとんど二年前のままである。残念ながらこの演奏会は、新型コロナウイルスの感染拡大によって中止となった。しかし、この文章が伝えようとしている、この曲へ向けた当時の私の考えや想いは、その表現が稚拙であるにせよ、二年経った今もなおメラメラと燃えているように思う。


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