見出し画像

いいところばかりじゃない

CGのあのリアルすぎる不自然さがないなあと思っていたら、ほぼ実写らしいんですね、この映画。

『君の名は。』なんて、登場人物たちは頭が大きく描かれた昔ながらの描写なのに、それ以外は本物か作り物かわからないくらいのリアルさで、かえって醒めちゃいましたもん。
その点、『この世界の片隅に』はアニメ映画らしいアニメで、なんだか安心して観ていた記憶があります。

アニメ映画の話をしつつ、わたくし基本的にアニメ映画は観ません。昨年は、複数の友人の強いおすすめ&前評判に負けて上記の二作品をうっかり観てしまいましたが、わたしにとっては例外です。自慢じゃありませんが、宮崎アニメも一本も観ていません。

アニメ以外には、SFダメ、アクション苦手、バイオレンスもってのほか、戦争ものも戦闘シーンがメインならパス。
映画は、映画館で月に2〜3本観る程度ですが、こんな感じでジャンルはかなり限られています。じゃあ、なに観てんだってことになりますけど、まあそこらへんはいろいろと。

だから、この映画もちょっと躊躇したんですよ。でも「戦闘シーンのない戦争映画」ってふれこみをどこかで見た記憶があって、さらに前評判にも負けて、観に行っちゃったんです。

戦闘シーンがないというのは大嘘だったのか、わたしの勘違いなのか、あるいはこういうものは普通、戦闘シーンとは言わないのかはわかりませんが、冒頭から銃声が鳴り響くし、いつもは行かないメジャーなシネコンで観ちゃったものだから音もでかい。

もうしょっぱなから苦痛。それでも一所懸命観ておりました。
早く終わらないかな〜、でもまだ終わる気配じゃないしな〜と思いながら、暗闇のなか目を凝らして時計を見るも、まだ45分しかたっていません。
すでにヘトヘトです。
もうあと1時間もこれを観させられるのか。
ケチだから途中で帰るのはくやしいし、この映画の評判がいい理由も知りたいし、てなことで最後までスクリーンの前に座っておりましたよ。

ダンケルク』。

写真:IMDb

この映画、一応主人公はいますけど、彼個人の内面に焦点を当てることはありません。観る側と主人公との距離〈d1〉と、観る側とその他の主要人物たちとの距離〈d2〉が、ほぼ同じなのです。
わたしから見ると西洋人ってみんな同じ顔なので、登場人物が多すぎると、誰が誰だかわかんなくなっちゃうんです。
なのに、そんな同じ距離感で人物を描かれている上に、みんな同じような顔(に見える)、同じような服装をしています。ちゃんと見分けがつくかどうか、最初の15分で心配になりました。

さらに、全体的に無口な映画です。セリフも少なければ、説明的なナレーションもありません。
おまけに時間軸がずれています。1週間のできごとを追う場所、1日のできごとを追う場所、1時間のできごとを追う場所を、同時進行で見せてくれます。

わたしにとってこんな悪条件が揃った映画を観ると、途中でわけがわからなくなって、勘違いしたまま映画が終わるなんてことはありがちです(しょっちゅうある)。
だけど、今回はそんなことはありませんでした。どうしてかは今のところわかりません。それがわかったら、この記事ももう少し面白くなると思うんですが、残念です。

後半のさらに後半では、皆さん多少はしゃべるようになりますが、基本的には映像と音楽でじわじわさせられます。音楽なんてほんとにじわじわさせてくれます。

そのじわじわさせられる音楽はこちら!↓↓
(このリンクでの45分あたりからの音楽は、じわじわから一転して美しく、これが使われているシーンもとても美しく、ため息が出ちゃいましたヨ)

物語は淡々と進みます。いや、爆撃したりされたり、海に浮かんだり沈んだり、そういった動的なものはあります。ありますというか、終始そんな感じです。だから、戦闘ダメ、はらはらどきどきダメ、でかい音ダメの三拍子なわたしはつらい……。

でも、人間たちは静かです。怒ったり泣いたりわめいたりしません。これみよがしな人間ドラマなんてのは、ほぼありません。
ただ、ときどき登場人物がぽつりと言う言葉や態度に、現実味を感じるとともに、どうしてこんなことが言えるんだろうと考えさせられます。

国、陸・海・空軍、階級、所属部隊などによって、彼ら軍人たちはどこまでを仲間とするかの線を引いています。その線は、時と場合によって上下左右に移動します。

国としては味方だけど仲間として認めていないフランス人の兵士を、あるイギリス兵がスケープゴートにしようとします。そのイギリス兵に対して主人公が「それはおかしい」みたいなことを言うんですけど、そのシーンも、非ドラマチックという意味でものすごく普通に描かれています。脂っぽい言葉で正義や公平をぐちゃぐちゃ言わないんです。
音が大きい上に、ここでお涙頂戴なんてされた日にゃあ、ケチなわたしでも席を立っていたかもしれません。
でも、わたしが席を立たなかった理由はそれだけではありません。

戦争という名目で平気で他人の命を奪ったり、他人を犠牲にしてでも助かろうという人間の、できれば見たくない面を見せられる一方、人間の善意というものが、この映画の最初から最後までうっすらと漂っているのです。
わたしはその漂っているものを最後まで味わいたかったし、それによって救われたかったのです。だから観続けたし、心臓に悪いシーンがあっても観続けられたのです。

民間人の若者が、自分の友だちにたいへんなことをしてしまった兵士に対して、あんなに静かな態度でいられますか。
看護婦として危険な戦地に赴き、兵士たちにあたたかい紅茶とジャム付きパンをふるまえますか。
空には戦闘機が飛び交い、魚雷がどこにあるかわからない海を渡って、民間人がヨットに毛の生えたみたいな船で兵士たちを助けに行けますか。

敵に海岸線まで追い詰められた状況の中、瀕死の兵士を出航間際の救護船に乗せようと、担架をえっほ、えっほと運ぶ主人公と若い兵士。だけど、そのどさくさに紛れて、自分たちもちゃっかりその船に乗り込もうとします。
捨て身的な善意がある一方で、生き延びることへの渇望も彼らのうちに存在しています。そのことを、彼らはまったく否定しません。『タイタニック』のディカプリオとは違うのです。  

殺す人いれば助ける人もいる。
戦争は悪意と善意で成り立っている。
いや人間そのものが悪意と善意の両方でつくられているのかもしれません。いいところばかりではなく。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?