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ゲーム研究を極める30冊〈4〉/吉田寛

(5)日本のゲーム研究・確立期(2010~2020年代)(6冊)

2010年代に入ると、欧米の「ゲーム研究」の動向が日本にも接続され、アカデミックなゲーム研究がいよいよ本格的に加速する。

(5-1)上村雅之・細井浩一・中村彰憲『ファミコンとその時代:テレビゲームの誕生』(NTT出版、2013年)
日本の、いや世界のゲーム史のうえで最重要のコンソールといってよい「ファミコン」ことファミリーコンピュータ(任天堂、1983年)についてのほぼ唯一といってよい包括的学術研究。出版当時は、コアなファンや研究者から「巷で語られてきた(すでに知られた)以上の情報を期待したのに、それが書かれていなくて残念」という声も耳にしたが、むしろここまできっちり「正史」が書かれたことを評価すべきだろう。他の追随を許さない本書の最大の達成は、何といってもやはり、任天堂の開発第二部部長としてファミコンの開発責任者も務めた上村雅之(本書出版時点では立命館大学教授)が筆頭著者として、開発の詳細な過程と設計思想を記している部分(第1章~第3章)だろう。さらに第4章「ファミコンとゲーム産業の確立」(中村担当)では、任天堂のライセンス契約や流通方針の独自性、北米や欧州での展開、企業としての特性、第5章「ファミコンの社会的影響と受容」(細井担当)では、プレイヤーコミュニティ、雑誌・攻略本といった出版メディア、アニメやマンガなどとのメディアミックス展開と、ファミコンを取り巻く諸問題が広範な視野のもとで論じられており、各著者の専門分野を活かした、たいへんバランスのよい本になっている。
 
(5-2)尾鼻崇『映画音楽からゲームオーディオへ:映像音響研究の地平』(晃洋書房、2016年)
著者は、音楽大学で作曲を学んだ後に、総合大学の大学院に進学し、映画音楽研究で博士学位を取得した研究者で、その経歴が本書で展開される「映像音響」の総合的分析を可能にしている。本書でも指摘されているように、古典的ハリウッド映画の常套的音楽語法である「ライトモチーフ」(音楽的テーマ)や、ウォルト・ディズニーのアニメーション映画に由来する「ミッキー・マウシング」(キャラクターの動作1つ1つに音を付けること)の手法は、現在のゲームオーディオ(筆者は、ゲームミュージックの代わりにこの語を用いる)の基礎にもなっている。したがって、著者の経歴と本書の構成(前半が映画音楽で、後半がゲームオーディオという)は、デジタルゲームの音と音楽を研究するためにとられるべき最短で最適な経路であったといえる。もちろん映画やアニメーションとは違って、ゲームには、プレイヤーの存在に起因する「インタラクティビティ」の要素や「ダイエジェティック(物語世界)」の多層性が見られ、そのことがゲームオーディオの特性をも大きく規定するわけだが(拙著『デジタルゲーム研究』第10章参照)、本書はそうしたゲームオーディオならではの特性についても、最新の研究を踏まえながら丁寧に説明する。デジタルゲームにとって音・音楽は、単なる効果音やBGMにはとどまらず、プレイヤーが「物語」「運動」「時間」を経験することを可能にする重要な手段である。ゲームデザイナーは、視覚的表象(グラフィックス)のみでは表現できないことを、音を用いて表現する。グローバルなゲーム研究の状況を眺めても、音・音楽の分野は常に手薄である。その意味でも、ゲームオーディオの歴史や技術について、日本語で一通りの理解をコンパクトに得ることができる本書は稀少である。
 
(5-3)松永伸司『ビデオゲームの美学』(慶應義塾大学出版会、2018年)
本書は、著者が2015年に東京藝術大学に提出した博士論文「ビデオゲームにおける意味作用」を元にしている。著者自身による一言での要約を借りるなら、本書の問いは「ビデオゲームはどのような独特の特徴をもった芸術形式なのか」ということになる。「独特の特徴」とは「ナラデハ特徴」とも言い換えられる。それは芸術形式としてのビデオゲームの「媒体固有性」のことである。そして著者によれば、ビデオゲームのナラデハ特徴を明らかにするためには、その「受容過程」の側面と「行為」の側面の両方に眼を向けなければならない。しかし本書は、主に前者を「意味作用」という観点から詳細に明らかにしている一方、後者に関しては、「美的行為」を作り出すための芸術、すなわち「行為の芸術」としてのゲームというアイデアが終章で示唆されているにすぎない。著者はそのように本書を総括している。だがこのアイデアは、それをかたちにするためには、本書と同じくらいの時間と労力とページ数が費やされるはずのものであり、そこに踏み込めなかったからといって、本書の達成と価値がいささかも損なわれることはない。本書は、文字通り「ビデオゲームにおける意味作用」を徹底的に解明した前例のない研究であり、ディスプレイの記号システム(意味論と統語論)に始まり、虚構世界、ゲームメカニクス(著者は「ルール」の代わりにこの語を採用する)、空間、時間、プレイヤーによる虚構的行為、そして最後に行為のシミュレーションと、すべての考察が明快な見通しと手順に沿って展開される。さらにもう1点、特筆すべきは、本書が「基本的に哲学の本であり、哲学的に考える人に向けて書かれた本」であることだ。「ナラデハ特徴」とは何か、それを明らかにするための問いと方法とはいかなるものか、その研究の意義はどこにあるのか、定義するとは何をすることなのか、作品の受容とは何か、といった具合に、思考や論理の飛躍や省略、あるいはごまかし抜きに、一歩ずつ論証を進めていく本書は、いわば「ビデオゲームをサンプルにした芸術哲学の模範的実践例」として、ゲーム研究者以外によっても広く読まれるべき価値をもっており、また現に読まれている。逆にいえば、われわれは、このような優れた美学・芸術哲学の本が、他ならぬゲーム研究の分野から出現した(他の分野からは出現しなかった)ことの意味を考えてみるべきかもしれない。
 
(5-4)松井広志・井口貴紀・大石真澄・秦美香子編『多元化するゲーム文化と社会』(ニューゲームズオーダー、2019年)
関西地域で活動する社会科学系の若手研究者を中心に編まれたゲーム研究のアンソロジー(論文集)。2015年に始まった「多元化するゲーム文化研究会」の成果報告書の側面ももっている。「ゲームとユーザー/プレイヤー」「実践のなかのゲーム」「ゲームとジェンダー/セクシュアリティ」「ゲーム文化と社会」をそれぞれテーマとする4つの部から構成されており、各部の末尾には多彩な執筆者によるコラムが配されている(筆者も「ゲーム研究をめぐる困難」というコラムを寄稿している)。ゲームの利用動機や満足度の実証的調査、高齢者のゲームセンター利用実態の統計的検証、エスノメソドロジーや会話分析の手法を用いたゲーム実践の分析など、社会科学的研究手法(質的・量的アプローチの双方)を用いた論文が多いことが、本書の特徴である。編者達は、井上俊の『遊びの社会学』(1977年)を最後に途絶えてしまった、遊びやゲームを対象とする文化社会学の伝統を復活させ、現代の文化的状況に対応する、新たな「ゲームの社会学」を打ち立てることも視野に入れている。だがそのためには、現在の社会科学を支配する「実証科学」の傾向に逆らいつつ、以前に比して最近では弱まっている「人文学」的要素を回復することで、「かつての文化社会学の系譜を継ぐような、オルタナティブな社会学的ゲーム論」が必要となる。それこそが本書のタイトルにある「多元化」の語に託された真意であり、そのために本書(および同研究会)は、社会科学のみならず、文学、哲学、心理学、観光学、スポーツ科学、工学といった広範で多彩なディシプリンへと開かれた場となっているのである。
 
(5-5)小林信重編『デジタルゲーム研究入門:レポート作成から論文執筆まで』(ミネルヴァ書房、2020年)
2006年に設立された日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)の会員が中心となって執筆され、2020年に刊行されたこの本は、ゲーム研究が日本のアカデミズムに十分根を下ろしたことを示すと同時に、ディシプリンとして抱える困難もうきぼりにする。付録の「日本でゲーム研究を専攻できる大学院・大学リスト」を見ると、ゲーム研究者が所属する学部が、情報学、経営学、工学、文学、教育学、法学、芸術学、映像学などなど、きわめて多岐にわたっていることが分かる。ゲーム研究は完全に「学際的」なディシプリンであり、どの学部にも帰属することができない。ということは、その研究の方法や進め方も、統一することはできず、多様にならざるをえない、ということだ。そうしたなか、本書は「特定の学問分野(ディシプリン)の人だけでなく、どの学問分野の人でも参考にできる本」であることを目指して書かれた「研究入門」である。その時点で難題に挑んでいることが分かる。第2章から第5章までは、問いの立て方や、データ収集・分析の方法、文章作法など「研究の方法」と「論文の書き方」に当てられているが、学部や研究室によっては、これが通用しないケースも多いだろう。むろんこれは本書の欠陥ではなく、ゲーム研究に課された宿命である。その意味で、読者にとってむしろ有益なのは、「ゲーム研究の多様なアプローチ」(第6章)かもしれない。そこでは、国内外の12人の研究者(筆者もその1人である)がそれぞれ「ゲーム研究を始めたきっかけと研究テーマ」と「ゲーム研究の魅力」、「好きなゲームとその理由」を述べており、どういう学問的背景をもつ人がどういう経路でゲーム研究に辿り着いたのか、その「生きた実例」が並んでいる。ゲーム研究者はいつの時代、どこの国でも「インディペンデント」である、ということがよく分かるはずだ。付録には「ゲーム研究ブックガイド20」も。
 
(5-6)川﨑寧生『日本の「ゲームセンター」史:娯楽施設としての変遷と社会的位置づけ』(福村出版、2022年)
著者は、筆者が立命館大学に在職していた時代の指導学生であり、本書は、2020年に受理された著者の博士論文を元にしている(筆者はその審査には加わっていない)。したがって本書の内容は、筆者にとっては、本書の刊行以前からかなり身近なものであり、筆者の助言が内容に反映されている(今読むとそのことが思い出される)部分もある。一言に「ゲームセンター」といっても、その店舗や営業の形態はきわめて多様であり、またその多様性がそのまま日本のゲーム文化の独自性をかたちづくってきた、といえる。そしてそのゲームセンターは現在、急速に姿を消しつつある。1989年には全国に約2万2000店あったゲームセンターは、2019年には約4000店にまで減っているというデータもある。新聞、雑誌(とりわけ『ゲームマシン』『コインジャーナル』などの業界専門誌)、国会や地方議会の議議事録、警察白書などを駆使しながら、日本の「ゲームセンター史」を見事に書き切った本書は、まさに今書かれるべくして書かれた本である。


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ゲーム研究を極める30冊〈1〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)
ゲーム研究を極める30冊〈2〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)
ゲーム研究を極める30冊〈3〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)
ゲーム研究を極める30冊〈5〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)

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