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ゲーム研究を極める30冊〈5〉/吉田寛

(6)ゲーム史(2冊)

歴史叙述(歴史を書くこと)においては、データの量とストーリーの明快さは常にトレードオフの関係にある。この点で、200ページ少々の新書である多根清史の『教養としてのゲーム史』と、570ページの大著である中川大地の『現代ゲーム全史』は好対照である。

(6-1)多根清史『教養としてのゲーム史』(ちくま新書、2011年)
新書(ちくま新書)で200ページ少々とハンディな本だが、この1冊で、『ポン』(アタリ、1972年)や『スペースインベーダー』(タイトー、1978年)といった初期アーケードゲームから、ニンテンドーDS向けの『nintendogs』(任天堂、2005年)や『ラブプラス』(コナミ、2009年)までの歴史をざっと俯瞰できるのはありがたい。「ゲーム史」を書くことは難しく、またそれが分量に制約のある新書でとなれば、なおさらである。著者もその点に自覚的であり、本書では「誰もが共有できる「ゲームの教養」」すなわち「ハードや体験の壁を超えて、フラットな「ゲーム語り」を可能とする知識の体系」を提示することを目指したという。本書は、それぞれ固定画面のゲーム、画面がスクロールするゲーム、RPG、シミュレーションゲームを主題とする4章で構成され、初めの2つの章では主にアクションゲームとシューティングゲームが扱われるから、ジャンルのバランスもよい。また、『マリオブラザーズ』と「協力か、裏切りか?」の問題、『ゼビウス』の「隠れキャラ」と「ストーリー性」、『ドラゴンクエスト』と冒険の「一本道」化など、ゲーム史の画期となったタイトルがそれぞれどのような点で重要だったのかを、著者独自の視点や解釈も交えながら考察している。プレイヤーの経験に立脚し、その欲望の「進化」の過程としてゲーム史を叙述する本書は、「膨大なゲームのタイトルやジャンルを年代順に列挙していく」タイプの歴史叙述とはまったく異なっている。著者も期待する通り、たった数十年で急速な進化を遂げたゲームの歴史が示す「アイディア」と「技術」と「欲望」の複雑な絡まり合いは、われわれに「創造のヒント」をも与えてくれるに違いない。
 
(6-2)中川大地『現代ゲーム全史:文明の遊戯史観から』(早川書房、2016年)
上述の多根の本とは違い、本書は――まさに「全史」の名にふさわしく――その網羅性が特徴である。全11章(序章と終章を含めれば13章)、570ページにわたる圧倒的ボリュームのなかに、デジタルゲームの起源とされるレオナルド・トーレス・ケベードの『エル・アヘドレシスタ』(1912年)から『ポケモンGO』(2016年)に至るまで、膨大な数のゲームタイトルが位置付けられている。巻末の索引に並ぶゲーム関連固有名詞の数は実に593(ソフトウェアだけでなくハードウェアも含む)。これらすべてを「知っている」だけでも驚きだが、考察の深さから考えて、おそらく著者はそのほとんどすべてを「遊んでいる」と思われる。個々のゲームについての評価や考察も読み応えがある。このように膨大な数の事象を扱う歴史叙述においては、流れ(ストーリー)の明快さが損なわれることが危惧されるが、本書はほとんど「力業」でそれらを両立させている。著者が本書で採用する、もっとも大きな時代区分は「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」というものである。これは社会学者の見田宗介の枠組みを踏襲したものである。見田は『現代日本の感覚と思想』(1995年)で、「現実」の3つの反対語を用いて、戦後日本社会を3期に区分した。中川はこれを援用し、「理想の時代(1912~59年)」「夢の時代(1960~74年)」「虚構の時代(1975~89年)」を設定する。しかしこれでは「現代」に届かない。そこで中川は、宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(2011年)から示唆された2つの時代区分を採用し、これに「接ぎ木」する。それが「仮想現実の時代(1990~2004年)」「拡張現実の時代(2005~2019年)」である。また中川は、本書を「日米ゲームの比較文化論な叙述」と自ら規定しているが、叙述対象を日米両国に絞ることは、本書が下敷きとする見田の戦後日本文化論の枠組みを考えても、また戦後のゲーム産業のグローバルなパワーバランスを考えても、自然である。そしてもう1つ、本書を構成する重要な原理が、歴史の「縦軸」に対する「横軸」として著者が導入する、ロジェ・カイヨワによる遊び・ゲームの4区分――競争、運、模擬、眩暈――である。著者は、一方で「日米ゲームの比較文化論」を構想しつつ、他方で「生物としての人間の原初の営みである遊びの原理」を見定め、それを歴史の立脚点とする「文明の遊戯史観」を掲げる。前者に比べて、後者の射程は、時間的にも理論的もはるかに悠長であり、そのため、これら2つの軸――「歴史の縦軸」と「原理の横軸」が――がきれいに1つの平面を構成するとは考えにくい。ところが、著者の確信は「日米ゲームの比較文化論的な叙述」の根底に「人類史的な全体性や普遍性」を見出しうるということにあり、本書の副題が示す通り、著者の力点はどちらかといえば後者にある。著者は「競技(ルドゥス)」と「遊戯(パイディア)」という二分法をカイヨワから借りつつ、カイヨワが想定した「遊戯」から「競技」という文明の進歩史観は退けて、「競技」優勢のアメリカと「遊戯」優勢の日本という2つの文明のタイプを対置する。ただし著者はこの対立関係を両国のローカリティやナショナリティに還元する(ステレオタイプ化する)つもりはなく、むしろそれら2つの原理が、デジタルゲームの時代に入って以降、それまでの時代にはなかった強度と速度で相互浸透していることが重要だと考えている。「日本のゲーム」や「アメリカのゲーム」という括りはもはや無効であり、どちらも相応に「グローバル」になっている。これほど壮大で射程の長い時間的・理論的フレームのなかに、膨大な数のゲームタイトルがきっちりと位置付けられ、叙述を構成するピースとしてすべてがしっかり機能していることは、驚きといわざるをえない。

(7)デジタルゲームの技術の解説書(2冊)

デジタルゲームの「技術書」(アルゴリズム、グラフィックス、コーディングなどを対象とする)と、ここで紹介する「技術の解説書」は似て非なるものである。前者がもっぱら「技術を習得したい人に向けての実践的マニュアル」であるのに対して、後者は、技術者だけでなく、より広範な読者を想定して書かれた一般書であるからだ。

(7-1)宮沢篤・武田政樹・柳原孝安『コンピュータゲームのテクノロジー』(岩波書店、1999年)
「岩波科学ライブラリー」の1冊で、一般読者に向けて、コンピューターゲーム(アーケードゲームやテレビゲーム)の技術を1980年代から歴史を遡って解説する本である。著者の3人は当時ナムコに所属していた研究者・開発者で、そのため取り上げられる事例はどうしてもナムコのものが多くなるが、それはさほど気にはならない。とくに歴史を扱った部分では、セガ、コナミ、タイトー、任天堂などのタイトルにバランスよくふれている。なお本書が対象とするのは基本的に視覚的表現に関わる技術であり、音についての記述はない。例えば、背景の画面とキャラクターの動画を合成する技術(プログラマブル・キャラクタ・ジェネレータ、スプライト)や背景画面のスクロール方法、拡大・縮小・回転機能、ポリゴンによる立体表現、テクスチャマッピング、シェーディングなどが、すでに確立され普及した技術として説明される(1章~3章)。他方、現在発展中の技術として取り上げられるのは、3D演算処理の高速化(4章)と、モーションキャプチャなどを用いた「よりリアルな動きの表現」(5章)で、とくにモーションキャプチャについては、光学式、磁気式、機械式と当時のすべての方式が詳細に解説されている。ナムコは『鉄拳3』のアーケード版(1997年)で初めてモーションキャプチャを使用し、さらにそれをプレイステーションに移植(1998年)する際に独自のデータ圧縮方式を開発した。ROMからRAMに瞬時にデータを転送できるアーケード基盤とは異なり、CD-ROMにその都度アクセスしてRAMへのデータ転送が行われるプレイステーションでは、モーションデータの効果的圧縮とキーフレームの削減が求められる。そのためにナムコは独自の補間ロジックを開発し、特許も申請した。そうした経緯も本書に記されており、出版当時のゲーム開発の状況を知るためのドキュメントとしても貴重である。
 
(7-2)松浦健一郎・司ゆき『伝説のアーケードゲームを支えた技術』(技術評論社、2020年)
2020年に出版され、1970年代と1980年代のアーケードビデオゲームを支えた技術を解説した本書は、完全に「過去の歴史」を対象とする本である。著者は、本書が「レトロゲームをより楽しむきっかけになる」ことを願っているといっており、本書が昨今のレトロゲームの流行と歩調を合わせた出版物であることが分かる。レトロゲームを遊ぶ現代のプレイヤーは、ゲームそのものだけでなく、そのゲームを支える技術にも興味をもつ傾向がある。著者はそう考えており、本書はそういう読者を対象としている。1971年は『コンピュータスペース』(ダイオードマトリックスを使用したキャラクター表示)、1972年は『ポン』(ラスタースキャン方式による映像表示、可変抵抗によるコンデンサの電圧変化とパドルの移動)といった具合に、1年に1つ(か2つ)、それぞれの年の技術革新を象徴するようなタイトルを選び出して解説を加える、という基本構成をもち、最後は、1988年の『ウイニングラン』と『トップランディング』(ポリゴン)、1989年の『キャメルトライ』(回転機能)と来て、本書が締め括られる。上でふれたもの以外でも、フレームバッファによるグラフィックス処理(『ガンファイト』)、ベクタースキャン方式による映像表示(『スペースウォーズ』)、ラインバッファ方式によるスプライトと、タイルマップによる画面表示(『ギャラクシアン』)、敵ごとに異なる性格付け(『パックマン』)、3つのCPUによる並列処理(『ギャラガ』)、ラスタースクロールを用いた擬似3D(『ポールポジション』)、レイトレーシングを用いた擬似3Dと機械式トラックボール(『マーブルマッドネス』)、多重スクロール(『ハングオン』)、複数画面の継ぎ目のない接続(『ダライアス』)、電子ビームを検出する方式のマシンガン型コントローラー(『オペレーションウルフ』)など、すべてが図解付きで丁寧に解説されている。また直接ゲームの技術に関係しない場合でも、重要なマイクロプロセッサ(インテル4004、インテル8080、モトローラ6800、モステクノロジー6502、ザイログZ80、インテル8086など)が登場した年には、必ず冒頭でそれについてふれられており、それによってコンピュータの進化とゲームの技術革新を常に並行して理解できるように工夫されている。

(8)同人誌(1冊)

「おまけ」として同人誌も1冊。

(8-1)山田鍵『ビデオゲームの本の、本 1984~2019』(すずめ出版、2019年)
コミックマーケット(コミケ)や同人ショップで売られているゲーム系同人誌のなかには「資料系」と呼ばれるジャンルがあり、そのなかにはゲーム研究の書籍として優れたものも少なくない。本書もその1つである。ファミコン論、任天堂論、教育・社会論、ゲーム業界論、学問としてのゲーム論、ライターや批評家によるゲーム論、クリエイターによるゲーム論といった章区分をもつ本書は、実質的に、1980年代以降に日本語で出版されたゲーム研究の書籍を一覧できるものになっている。表紙のサムネイル画像付きなので、自分がもっている本、もっていない本をすぐに見分けることができて、たいへん便利である。こういう本との出会いがたまにあるから、研究者も同人ショップ巡りをやめるわけにはいかないのである。


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ゲーム研究を極める30冊〈1〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)
ゲーム研究を極める30冊〈2〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)
ゲーム研究を極める30冊〈3〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)
ゲーム研究を極める30冊〈4〉/吉田寛|東京大学出版会 (note.com)

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