見出し画像

「人に物を教えよう」という傲慢さ

修多羅羽兎です.6月初旬だというのに,すでに日中は暑くてエアコンをついついつけてしまいます.熱中症には気を付けましょう.

noteを手探りで初めて数日経ちましたが,とりあえずで構成を決めました.書く内容としては「私自身の思っていること,感じたこと,もっと早く知っときゃ良かったという事実を自分の思考整理のためにまとめる」というスタンスで書き連ね,通常こういうオープンな場では忌避される,政治,宗教,経済,社会,性差,人生,国際問題,などに関することもテキトーな伏字を使って表現していきたいと思います.

大体文書の前半部分で序論本論に当たるような内容について書き,後半部分で本論の核心と結論に当たるような内容に関して書いていこうと思います.その上で基本的には私自身の感情を極力排除することを心掛け,出来うる限り,客観的に物事を論じていきたいと思います.

その上で見てくださる方は,「ほーん,面白いこと考えるやん」とか「やっぱそうだよなぁ!?」とか「なわけないだろ!カスゥ!」とか色々ご感想ください.待ってます.

現代の教育事情

義務教育に関して抜粋すると,「日本の教育制度は、小学校が6年間、中学校が3年間と定められています。小・中学校の9年間の教育制度は義務教育と呼ばれており、日本国民が必ず受けなければならない教育として決められているのです。」とあり一般的には,その後高校へ進学,3年間の修学の後,2019年では約54%が大学及び短大への進学をします.

教育基本法ではその目的をこのように定めます「第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

個人的には「人格の完成」や「社会の形成者として必要な資質を備えた心身」という文に引っ掛かりを覚えます.

いずれにせよ大前提として,この国で行われている教育は(もちろん他国でも),すべて私たち個人のためでなく,「社会の形成者として必要な資質を備えた心身」を育成するために行われている.ということを認識しなければなりません.そのため義務教育や学校教育に個人の幸せの最大化するためのカリキュラムなど最初から想定されていません.よくある「僕は~大学を出て幸せな暮らしをするんだ!!」みたいな考え方は的外れであると言わざるを得ません.(※だからといって国を批判するのも的外れです.)

そもそも教育とは何なのだろうかというところから考えていきます.言葉の意味としては「教え育てること,望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動」のこと,と広辞苑にはあります.教育はする側にも,される側にも明確な意図が存在するということです.

国家の労働者を作るための教育機関が学校であり,これは国営のビジネスなわけです.そしてこの教育ビジネスというものはお金が稼ぎやすいです.なぜなら知識の格差を利用しているからです.

教育ビジネスを,投資というレイヤーで考えましょう.投資の本質は安く買って,高く売ること.これをするためには投資対象の価値をきちんと理解していないといけません.この点で考えると教育ビジネスは出資者がこの投資対象の価値を理解していないわけですから,仕掛ける側の人たちは絶対に勝てる仕組みになっているわけですね.

詐欺まがいの教育ビジネスや通信教育や英会話口座なんかもそうですし,習い事とか塾とかもストラクチャーは全部これでしょう.いずれにせよ,自分の人生の幸福を最大化させるために,こういう大いなる欺瞞をきちんと見抜くことは大切なことだと,最近は考えています.

ここまでで学校教育アンチみたいなことをつらつら書き連ねてきたわけですが,なきゃないで困ります.特に義務教育が無ければ基本的に人間は全員チンパンジーなわけですし,私なんかはモラトリアムの期間が与えられたおかげで,自分の人生と社会の仕組みを理解するための時間を作ることが出来たわけです.さらに言うと感情レイヤーで考えるなら,私たちは日本人である以上日本に守られて生きてきたわけですから,必要最低限は国民,もしくは直接自分を育ててくれた環境に恩返しするのが筋ってもんだと思います.(意識高くいうと国にコミットでしょうか?)

指導者の欺瞞

ここからが本題です.教師になる人,指導者になる人というのはどのような人達が多いのでしょうか.

ここから先は

1,890字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?