(うとQ世話し「対応」への対応の仕方 前編)

2021/7/27-1
(うとQ世話し「対応」への対応の仕方 前編)
昨日の記事で、自分が子供の頃のお話を少し致しましたが、今思っても小学校4年生までの毎日は本当に楽しかったです。
毎日遊び回っていましたし、学校に行っても自由研究発表やら壁新聞とか大きな壁画を描いたりする毎日だったので楽しくて仕方がありませんでした。
周りも学習塾になんかに行っている子は一人もおらず、勉強についての話をしたこともありませんでした。
ところが小学校5年になった時に、突如小学校の担任の先生が家庭教師として週1回来ることになったのです。
それは親父のこの一言で決まりました。
曰く
「友達は遊んでばかり。おまえも遊んでばかり。当家を背負って立つ長男としての自覚が全く足りん」
それにしても最悪でした。自分は「神経質そうでいつもイライラしているみたいな」この先生が大嫌いだったからです。
案の定毎週その日は家の中で怒られっぱなし。
多分親父が
「どんどん厳しくやってください」
とでもいったのでしょう、いくら自分が怒られていても誰も助けには来てくれませんでした。
しかし、そうまでしたのに自分の成績が一向に上がらないことに業を煮やした親父は、とうとう5年生の2学期に自分を越境入学させるべく他地域の難関大学への進学率の高い公立校への転校手続きをとってしまい、本当に3学期からその進学校に通うことになってしまったのです。
その進学校では前の学校とは違い、誰も下校時に寄り道して遊んで帰ったりしていないようでしたし、日曜日に全国対象の進学テストを受けないのは自分だけというような状況でした。
とにかく何から何まで違っていたのです。
前の学校にいたときは、大人になってから知った言葉を使えば「対応」などと言うことは考えたこともありませんでした。
「毎日がこの先ずっと、こんな感じの楽しい毎日」
多分そんな感じが無意識にしていたのだと思います。
ところが新しい学校では、そんな感じはまったくせず、どうしていいのか分からなくなってしまったので
「この全然違うものに対しては「備えなくてはならない」んだろう、多分」
それが大人語で言うと「対応」だったのだと思います。
それ以来大学卒業まで、大方の日々は真っ暗。
違和感と疲労感ばかり。
何かすっきりしないのです。不安と言うより落ち着かないのです。何か合っていない。チグハグで思うように動けない。
言ってみれば毎日が
心の「隔靴掻痒」又は心の「二人羽織」状態
でした。
(続く)


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