うとQ世話し これからは「新 切り分け法」で その2

2021/3/1-2
(うとQ世話し これからは「新 切り分け法」で その2)
前記事に続き、本日2番目の「新切り分け法」の事例です。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
という諺がありますが、これをやり過ぎると、大変な遠回りをすることになるか、又はとんでもない袋小路に陥ってしまう場合があることに気づきました。
嘗て在籍していた会社とそこからリストラで飛ばされた先の子会社の、それぞれ上司さんと先輩さんは「ものすごぉぉっく、ヤな奴」でしたが、云っていること自体には一理ありました。
例えばパワハラ上司さんは
「プレゼンは起承転結ではなく「起承結」でやれ。「転」など入れて話を緩めずに、一気呵成に「結」に行くのが正しい」
とか
「云いたいことは山ほどあっても、一つに絞れ。多くて三つだ。それ以上は相手の頭に入らない。今日覚えて帰って貰いたいことだけに絞れ」
又、行った先の子会社の陰険一言居士の先輩さんは
「後工程はお客様だ。後に受ける人が、仕事がし易い様に渡すのが仕事というものだ」
とか。
前者さんに対しては
「まずは、云っている本人が実行してくださいよ、ね」
と思い
後者さんに対しては
「よく言うよ。自分は全くしていないよな。時に意地悪を混ぜ込んで渡している癖しぁがって」
と反発を感じましたが、云っていること自体は間違って居なさそうだったので、臆面も無く云っている本人の顔にはズボッと「紙袋をおっかぶせ」云った本人とは切り離して、頭の中の「使えそうな素材集の、と或る1ページに記録」しておきました。
と申しますのも「盗人にも一分の理」
居直り説教強盗が垂れる「説教」の中にも何がしかの「聞き得」内容がある様な気もしていたからです。
何故なら「完全悪」も「完全善」も無いのが常ですから。何事も一方が100%は、ないはず、
という考えから。
そうして、そこまでこちらが一旦は譲歩した上で、それでもやっぱり悔しいので、素材集の書庫に放り込んだ後は「お達者でぇ~」とばかりに心の中で、連中を遙か遠くに蹴っ飛ばしておきました。
しかし、こうした素材集はその後、いろんな面で大いに役に立ちました。
もし、これを「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、言われた理を採用する事を、あたかも敷設された地雷を踏まない様に、避けて通る大幅な迂回をしたり、それも面倒だからと消し去ったりしていたら、恐らく同じ手法や結論の代替品を見いだすのに、とんでもない時間と労力を費やさなくてはならなかったでしょうし、それも出来なかった場合は、ひょっとしたら真逆の結論に辿り着いて、妙な事になっていたかもしれません。
あの時「言ったのが誰か」と「言われた道理そのもの」は全く別物ではなかろうか?というある種のひらめきがなかったら今頃どうなっていたか?
今としては、あの時「偶然のそれ」がなかったらと思うと、ちょっと怖い気がしております。
些細なことが決定的な分かれ目になる場合が多い事が、よくあるからでございます。


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