(うとQ世話し お店再開理由のご説明)

2021/9/9
(うとQ世話し お店再開理由のご説明)
副題:金看板「ニューノーマル」の「ニュー」取外しの顛末
暫く前の記事で
「先を見据えたニューノーマルが見つからないとお店を再開しても、同じ事の繰り返しにしかならない」
と言ったような主旨のことを書き、
前日最後の記事では
「照る日、曇る日、雨降る日と日々変化し、一寸先で何が起こるか分からないのが常態(ノーマル)」
だと言うような主旨のことを書きました。
いつの間にか「ニュー」を消しておりました。
そんな中で
「新しい指針が見つかった訳でもないのに何でお店を再開したの?」
当然そういう質問が帰って来るであろう事は予想しておりました。
それでお店を開けた理由を現時点での視点でしか有りませんが、それを承知の上で少しご説明申上げます。
まず自分はこんな事を考えました。
コロナ禍前と今とで何が変わったか?
今とコロナ禍以降で何が変わりそうか?
その前にまず、かなり以前から思っていたのが
「問題やリスクというのは常に存在する。成功というのはそのうちの一つがその時点でクリアー出来ただけで、その他同時進行しているリスクや問題が消えた訳ではない。成功は時としてその認識を自らの酔いで忘れさせてしまうので、却って成功は失敗の母にもなり易い」
そう思っていた上で第一番目の問いに対してはどうか?
「そう思っていたのは今考えれば人間界内の話でしかなかった。視野が狭かった。
では、視野を広くするにはどうしたらいいか?
人間を生物、種の一つに過ぎないと見た方が正しそうだ」
と言う認識に変わった。
では第二番目の問いに対してはどうか。
「上記同様に、視野を広げてみればコロナ禍が明けたからと言って特段のニューノーマルと言う様な何かがある訳ではなさそうだ。
格言を用いて言えば
「何が起きるか分からないのが世の中だ」
それが常態(ノーマル)
その言に従えば「新常態(ニューノーマル)」と名付けたそれは「繰り返し常日頃、毎回起こるリスクや問題を超えるための方策」の内の一つにしか過ぎない。
リスクや問題の元になる未知、未体験の突然の発生、即ち「変化」こそが、変わらぬ「実相」真の「常態」
とすれば「新たな常態」というのは常時生起の「変化」の事で何も目新しいものではない。
昨今話題のDXやテレワークにせよ変化の0ne of them。
なので、以降は殊更「ニューノーマル、ニューノーマル」と言わない方が妥当の様な気がしてきた。
「すわ大問題発生」に対して「問題常在」
「人類は万物の長」に対して「人類とて一生物」
「声高な新常態」に対しては「騒ぐことなく淡々と」
以上をスルーして纏めると
「あぁ今迄、全て丸ごと勘違い」
それが「我々の今」の様な気が致します。
であるなら日々淡々とこの「勘違いを逐一修正」していけばいいだけの話なので、わざわざ大袈裟に「ニューノーマルという金看板」を掲げなくても
「お店を再開していいんでないの?」
と思い、再開するに至った次第で御座います。

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