(うとQ世話し「対応」への対応の仕方 後編)

2021/7/27-2
(うとQ世話し「対応」への対応の仕方 後編)
その後いろいろあって社会に出、なんとか人並みに勤め人になりました。
初めは、訳の分からない何かに兎に角も対応しようと上司の言われたとおりに仕事をしたのですが、結果は「ヒット商品の創出」という命題に対しては、全くの惨敗。
それがその後数回続いたので
「それじゃ、自分なりにやってみるか」
と思ってやったのが、周囲の予想に反して「ソコソコのヒット」
「ならば是で行ってみよう」
と続けたのが大惨劇の元。
「出る釘は打たれる」
のことわざ通りに、上司に打ちのめされて心の病を発症し、お払い箱への道、まっしぐら。
正確に書くと、左遷、降格、転籍、リストラの憂き目に。
しかしその中でも「自分なりのやり方で」というのは心の奥底に残っていたようで、子会社、いや孫会社に飛ばされても、その先でその姿勢を続けました。
というより、元々自分は、そういうやり方しか出来なかったのかもしれません。
思えば、規模の大小はあるものの、いずれどちらも宮仕えの身に変わりはなく、いくら孫会社と言っても又以前と同じ事になる気がする。
そして、これまた再びいろいろあって、
「どうせの事なら自分でやるか」
と見切りを付けての出発が今の会社の創業でした。
で、今現在はどうかと申しますと、以前に比べると信じられないくらいの「大変さ」です。
何しろ誰も用意をしていてくれるわけではないので鉛筆1本から自前で買わないとそろわないし「部長が言ったから」とか「予期せぬ自然災害が発生したから」とか、誰か。や、何かのせいにすることも出来ませんから。
ですが、一つだけ言えることは
「誰か、や、何かのせいには出来ないが、殺生与奪の権限は自分が持っている。それを人が持っていて、いつ使われるかと恐れているよりは、使いたくはないが使うならこの時、と自分できめられ、自分で予測が立てられる方がまだしも気が休まる」気だけはしております。
それでは最後になりますが、まとめて言えば
「どう対応したらいいのかで悩むより、こう対応するぞと決める」
つまり「自分のことは自分が決める」方が、とる責任という意味でのリスクは遙かに高まりますが「心安んじる」という点では後者の方が遙かに勝り、少なくとも怯えなくて済みます。
つまり前者の身の上よりは「少なくとも、自分に対して納得がいく」事だけは請け合えるような気が致しております。
(おしまい)

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