(うとQ世話し「も」前編 )
2021/9/25-1
(うとQ世話し「も」前編 )
「何のことはない。人皆、本心は独り占めを願っている」
独り占めというのは略すれば「独占」です。
世の中では「独占」は悪い事の一つに挙げられております。
最も耳慣れた事例を引き合いに出せば「独占禁止法」です。
自由で公平、公正な競争を阻むからです。新しいものの萌芽を摘み取ってしまうからでもあります。
それが人々に不利益を与えると云うことで制定されております。
一方目を転ずれば、政治、経済、マーケティング分野などで「勝ち組、負け組」「勝者に敗者」から始まって「一強」、を超えて最後は「一人勝ち」等と盛んに云っております。
初めの「勝ち組、負け組」辺りから「一強」に対して迄は何処となく批判的論調が目立つのですが、最後の「一人勝ち」に迄至ると、何故か「褒め言葉基調」に転じてしまっているのを何度も目にしました。メディア上で。
しかし、この「一人勝ち」が長く続き、発言力や権限が度を超すと、それはもう「独り占め」即ち「独占」の始まりです。
そうしてこの「独占」が自画自賛をし始めると「独善」つまり「独り善(よ)がり」になります。
当然ながら独りよがり「独善」は腐敗の元になります。異論に耳を傾かず自分だけが正しいと云うことの必然的な帰結、即ち「道理」だからです。
こうしてみると「一人勝ち」という言葉だけが浮き上がって見えてきます。
他は叩かれるのにこの言葉だけは何処となく「褒めている」「憧れている」ニュアンスが漂っているように見えるのです。
何故か?
それは「独占」というと語弊があるけれど、実は我々が心底密かに願っているのはこの「独占」だからではないでしょうか。
それを巧く交わすために、その一歩手前の順番と一歩手前の表現で「一人勝ち」と言い換えているのではなかろうかと。
何故なら「常時一人勝ち」「常勝将軍」になりたいのが本心。
この無敵状態こそ結果的に「独り占め」のなせる技で、言い換えれば「独占」こそ「常時一人勝ち」「常勝将軍」への最短ショートカットなのです。
その秘めたる願望がばれる事を無意識におそれて「常時」や「常勝(将軍)」を除き、更には国語的には刺激が強すぎる「独占」も引っ込めて「一人勝ち」程度に抑えたものの、願望だけは消えずについつい周辺の文言から「褒め言葉」「憧れ」扱いが滲みでてしまったのではなかろうかと推測しております。
(続く)
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