うとQ世話しピンポイント価値観が齎す悲劇

2021/2/3
(うとQ世話しピンポイント価値観が齎す悲劇)
自分の若い頃の、つまり昭和の時代のTVCMに
「大きいことは、いいことだぁ」
というのと、冒頭のフレーズは忘れましたが
「み~んな、悩んで、大きくなったぁ、でっかいわぁ、でっかいわぁ」
というのがありました。
要するに大きくなる(成長)過程で、悩むのは当たり前の事なんだという暗黙のコンセンサスが視聴者側にあった訳です。
自分も12年間、重度のうつ病を患いましたが、自ら命を絶たずにすんだのは、恐らくそんな無意識のコンセンサスが自分の中にあったからだと思います。
そんな目で見ると、最近コロナ渦で若い人の、特に女性の自殺が急増しているという記事を目にすると、強い心の痛みを覚えます。
何となくその時の心の風景が想像されるからです。
しかし、それは単に、非正規の女性が置かれている経済的な困窮状況による物ばかりではない気もするのです。
そこに気づいていれば、何人かの人は自殺せずにすんだのではないのかな?と。
何の事かと申しますと、
一つには、一度失敗したからと意って決して終わりではない。
また、道は一つではない、百も千も万もある。
そうして、価値観は何もお金や幸せな生活だけではない。気がつけば周りには他の価値観が可成ある(勝ち組負け組と騒いでいるのは上の2つを指しての話でしかない)
という意識が少しでもあれば、死なずにすんだのではないのかな?と思うのです。
無論制度設計上、最低限の困窮生活のサポートはされて然るべきです。
要するに上述三点に気がついてやり直しが出来るだけの時間を確保するという意味での金銭的サポートは。
それにしても何故こうまで若い女の人が自殺に追い込まれ易いのか?
思うに、昭和時代からあった「俗言」で
「30歳過ぎたら売れ残り」「パセリの君」「行かず後家」などの非常に狭いピンポイント価値観による縛りが暗黙のうちに今も生きていて、それが心理的に非常に高いハードル、詰まり過重圧となって、自殺への背中を押しているのではないのかな?と思う次第。
何故なら、外国人女性の中で「30歳過ぎたら自分の価値が減じる」等と言う話を聞いた事がないし、シリアやロヒンギャの難民が自殺したという話を耳にした事がないからです。
その狭すぎる、ちょっとでも外れると「もうあとはないわよね」というピンポイント価値観の狭さが齎す「選択肢のなさからそれ一点にしがみつくしかない」悲劇が起こっているのではないのかな?とも。
今の若い人に、嘗ての人々のような「耐性がない」と聞くようになって久しいのですが、その耐性を奪ってきたのは、それ以前のわれわれジジババ世代が押しつけてきた、ピンポイント価値観だったのではないのかなと思い始めております。
繰り返しになりますが、
選択肢が狭ければ狭いほど耐性が減じるのは当たり前です。なぜならそれにしがみつくしかない。殆ど「この一発が最後の賭け」みたいなものになってしまうからです。

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