うとQ世話し 超難問に直面す その4「ハリ」

2020/11/5-2
(うとQ世話し 超難問に直面す その4「ハリ」)
分かり易い説明というのは大変難しいものです。
前回の記事で「心」という言葉が出てきたので、古い言葉で言えば「唯心論」(唯物論に対する哲学用語)を何となく想起された方がいらっしゃるかもしれません。
或いはそんな哲学用語を知らなくても「即効性や実効性に乏しい戯言」として捉えられた方もいらっしゃると思います。
そこで今回は今少し追加的なご説明を申し上げます。
自分はこの世を実効的に動かしている両輪は端的に申し上げれば「金と情」だと認識しております。
お金は、もうそのままで何の説明もいりませんが「情」が何なのかをお伝えするのはなかなか難しい処があります。
情を慈愛や愛情、情けとだけ捉えると何かを取り溢した気がします。
その様な正の面以外に負の面もあるからです。
強いて言うなら、愛するより愛されたい欲求。更に端的に申せば
「人気取り」
「人はお金と自分への注目を求めて行動する存在だ」と申上げると分かり易いかもしれません。例えば今迄の権者が何を求めて行動したのかに上述の文言を充て嵌めてみると想像し易い気がします。
それを我々庶民レベルに充て嵌め直してみると
お金は「喰えないのは嫌だ」となり、情は「人に顧みられず忘れ去られて寂しい想いをするのは嫌だ」と言えるかもしれません。
となれば権者は「歴史に残る王」になる事を求めて行動し、我々庶民は、そこ迄は行かずとも、上述二項が欠落した状態(食えないし見向きもされない)での「ハリ(活性感、充足感)がない生活は嫌だ」の反意「ハリのある暮らし向き」を求めて行動する事が想像されます。
ハリは言い換えれば「元気」です。
そうして今一つ大切な視点は、この世を動かしている二大要素だと思われる「お金と情」には時間推移による比重変動があるという事です。
産業革命以降ここ200年程は上記二要素の内「お金」に可成の比重が移動しました。
しかしコロナ禍でお金の力に限界が見え始めると権者層は「人気取り」即ちポピュリズム(大衆迎合路線)に走り始め、我々庶民層は、お金より「生き甲斐」「遣り甲斐」となる「甲斐」を求め始め、現れ方は違うにせよどうやら昨今は両者とも後者の「情」にシフトしている様に見えます。
さてこの権者の「情(力)」の支配が優勢になるのか、それとも我々庶民の「情(ハリ)」の希求が優位に立つのか?
ニューノーマルは正にそこにかかっている気が致します。

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