うとQ世話し お正月特別寄稿「ニーズに応える」だけでいいのか? 寂しき「個客」

2021/1/1-2
(うとQ世話し お正月特別寄稿「ニーズに応える」だけでいいのか? 寂しき「個客」 )
「食卓はゲノム編集で作られる ほしい食べ物自在に設計」「“個”客時代の幕開け 小売業は「私だけの店」へ」「お一人様ニーズに応える」
これはインターネット上のある電子新聞に載った今日の記事からランダムに取ったタイトルです。
これを見て自分は薄ら寒い気分になりました。
そう思ったのはその新聞の別の処にこんな記事のタイトルが載っていたのを見たからです。
「あの頃、もう虚構だったホームドラマの「伝統的家族」」
コロナ渦で世の中の流れが巣籠りのせいもあって、社会、都会、職場から地域へ、地域から家族へ、家族から個へと向かっているのは分るのですが、それに上下流の相互性、可逆性がなくなり、個という一方向のみにどんどん細分化されていくと、人々はこの先どんどん孤立していくのではないかな?と思ったのです。
在庫は一個から持てるようになり、死蔵品がなくなったネット通販は画期的であった反面、それと組み合わされて開発された「好みに合った広告だけが自動的に表示されるAI広告」の影響で、自分の好みや世界観と相反する物の存在が加速度的に遠のいてしまい、世界が知らない間にゆがんで見えているようになっているにも拘わらず「之が世界だ」という誤認識を抱くようになってしまった。
それが何を生んでいるかと言えば「分断」
隣との意思疎通や異なる趣味、好み、価値観の受容や共有機会、共通基盤「部分」の喪失です。
前の記事でも書きましたが、ニーズとして存在するのは分りますし、商売から見れば家族単位の購入数より個単位の購入数の方が圧倒的に多いのでうまみが多いことも分ります。
更に今は“個”客から進んで個客の中の「場面(シーン)客」の開拓にまで来ているのも分ります。
売る側の広告のせいもあって個客は
「ワガママである事は(経済活性化上)善」「主役は私、個人なのだからそれは当然」
という風になります。
しかしそうなるとますます現実の世界での「個々人間(かん)の分断」が増していくような気がするのです。
「現在」の「ニーズに応える」のは、マーケティング上は正しい。
しかし、それが遠い将来「本当に顧客に幸せを齎すのか」という命題を忘れているニーズだったら、目先の利益を追ってそれに与(くみ)することは、商売人として絶対にやってはならない商法だと自分は思っております。
お客様も、何でも好みの物があっという間に手に入る今(こちらからで向かず全部向こうから玄関先までやってくる今)を、心の底ではさみしい、つまらない、ありがたみがない、わくわくしない、と感じているのかしれません。
「あの頃、もう虚構だったホームドラマの「伝統的家族」」
というタイトルから感じるに。
追記)
本年より1000文字既定を原稿用紙3枚の1200文字に拡張致します。

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