うとQ世話し タイムマシン通勤路

2020/9/28
(うとQ世話し タイムマシン通勤路)
朝、自転車に乗って職場に向かいます。
市区名は都会なのですが、実際には可成の大田舎。
まず、両親の故郷である九州、片田舎の山間(やまあい)の様な、稲穂たなびき雀が群れ飛ぶ水田や里山のある風景の中を進み、
それを過ぎると昭和30年代の子供の頃の風景を思い出させる、神社や焚火、黄色く色づいた柿木のある農家の脇を通り、
早朝の虫の音や小鳥の囀りに満ち溢れた森林墓地公園をすり抜けると、
今度は突如現れる、高度成長期時代の40年前に出来た、今から見るとかなりゆったりとした造りの幅広い通りや背の高い街路樹を中心に広がるエレベーター無しの団地群の中に出、
その広い通りを、軽快に自転車を飛ばして更に突き進むと、ネパール国旗たなびくわが職場のカリー屋に着く。
其処には、現下、コロナ禍に翻弄される「今」がある。
気が付けば、この自転車通勤は「誕生から今に至る歴史のダイジェスト絵巻の通し閲覧を日々繰り返す」結果になっていたようです。
もし、我々のお店が都会の駅前にでもあったら、このお店に着く直前までの子供の頃から67歳となる現在迄のタイムマシン風景はなく、それがなければ、昨今行い始めた有史以来レベルの長大な時間軸を通しての観察や、我々人間も所詮生態系内生物界の一員に過ぎないといった視座視点での、現下世の中を席巻しているコロナ禍や、その向こう側に必ずあるニューノーマルを捉えようとする思考態度は思いつきもしなかったような気がします。
コロナ禍襲来直前、低迷するお店の経営打開の為に、従業員に事ある毎にせっつかれて、駅前の繁華街に移転するかどうかを散々迷った折、どうしてもその決心が今一つ、つかなかったのは、実のところこのタイムマシン通勤路という稀有の環境を失うことの方が、目先の利得より遥かに大きな損失になるのでないかという無意識の抵抗があったからかもしれません。
「結果的には」それで危うく難を逃れた。
この全く以て不可視なる深層連環に「不思議の念」を抱いておりまする。


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