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「なぜ?」の疑問で見えてくる、自分にはなかった価値観。カタールで暮らして

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.35 カタール/カタール教育省附属語学教育センター

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は根本 愛子先生に、カタールのドーハで日本語を教えられていた体験についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

日本語を教えにカタールへ。意外なところに価値観の違いが

――2006年から2010年にかけてカタールで過ごされています。どのような目的で滞在されていたのでしょうか。

根本先生: 仕事です。当時は大学院にいたんですが、休学して、カタール教育省の語学教育センターに日本語を教えに行きました。以前トルコで教えていて中東地域には興味がありましたし、このお話が日本語講座の立ち上げからという滅多にないものだったので、面白そうだと思ったからです。


――中東という地域、そして講座立ち上げの機会に魅かれて渡航されたのですね。現地で特に印象的だったことについてお聞かせください。

根本先生: 学生の「持ちます」がなかったことでしょうか。

今は教室にPCがあるのでいいのですが、当時はカセットデッキや絵カード(厚紙に絵や写真を貼ったもの)を使っていて、自分の部屋から教室に大量の物を授業のたびに持って行っていました。でも、海外でも国内でもありがたいことに、必ず学生が「持ちます」と手を貸してくれたんです。それで、みんな親切だなぁと。この「持ちます」がカタールではありませんでした。おしゃべりしながら歩いていても、わたしは大荷物、学生は手ぶらで一緒に歩くんです。最初はこの学生は不親切だなぁと思っていましたが、みんながそうだと、なぜだろうと。でも、本人には聞けませんよね、「どうして不親切なんだ」とは。


――たしかに、気になるものの、聞けない質問ですね…。

根本先生: それが、とうとう「持ちます」と言う生徒が現れました。現地の小学校の1年生でした。これは親の影響だろうと思い、この「持ちます」について、その生徒の親御さんに聞いてみました。すると「不親切なのではなくて、カタール人にはその発想はないから」と教えてくれました。

カタールでは、カタール人は職場ではホワイトカラーですし、自宅でも家事や何かはメイドや下働きの外国人労働者にさせています。なので、体を使うことは、自分がやるべきことではない、親切な行為であるにしても、自分が体を使った行為をするという発想はないとのことでした。

それを聞いて、納得しました。そして、考え方、価値観の違いは思ってもいないところにあることを改めて知りました。

ドーハのご自宅からドーハ中心部を撮影。


親切の表現は違っても、そこにある気持ちは変わらない

――そんな理由があったとは…驚きです。考え方や価値観の違いに触れて、ご自身の考え方が変わったことがあれば教えてください。

根本先生: まず、何かおかしいと思ったときには、自分の持っている前提から確認するようになりました。「何だ、これ」ではなくて、「なんで、これ」と思う程度ですが。「持ちます」の件の場合、「何だ、持ってくれないんだ」だったら、「カタール人は不親切」で終わっていたと思います。それが「なんで、持ってくれないんだ」と思うことで、不親切なわけではなく、手を貸すという発想はないということがわかったわけです。

それから、自分の持っている価値観は絶対的なものとは限らないということも思うようになりました。「『持ちます』は親切」というのは、当たり前のことのように思えます。ですが、カタールではそうではなく、親切は「気前のよさ」で示すものでした。要は「お金」で、それなりの物を贈るのが当たり前です。日本だったら、「そんな高価な物はいただけません」と断るところですし、そもそも相手が困るほど高価なものは贈らないところです。ですが、お断りは、カタールでは相手の親切を受け取れないということになるそうです。行為としては違う形で表れても、そこにある気持ちは同じです。その気持ちに気づくためにも、自分の価値観だけで判断しないことは大切なように思います。

ただ、このように考えるには、自分の気持ちに余裕がないと難しいです。なので、できるだけ気持ちに余裕が持てるように心がけてはいます。


――行為は違っても、気持ちは同じ…忘れずにいたいです。気持ちに余裕をというのも、その通りですね。
この出来事以外にも、海外生活を通じて発見したことや、得られたと思うことについて教えてください。

根本先生: 当たり前や価値観の違いがあるということを自分で経験できたことでしょうか。
もちろん行く前にいろいろ調べたり、人に聞いたりはしましたが、実際に経験したことでより実感できましたし、見聞きしただけではわからなかったことも多いです。

それから、そうした違いは予想外のところにあることも多いということに気づいたこともあります。カタールというと、どうしてもイスラーム的な価値観や習慣が取り上げられると思います。これはもちろん違いがあります。でも、違うことは最初からわかっていますし、そもそもそういう地域に行こうというわけですから、心の準備はあります。大変なのは、予想していなかったときです。具体的にそれが何かはわからなくても、予想外のところに違いがあるということを知っているかどうかは大きいと思います。

ドーハのご自宅から車で10分程度の場所で撮影。
「カタールは、ドーハの市街地を出るとすぐにこのような感じです」と根本先生。


できることはきっちりと、後は気楽に。「日本とアラブのハイブリッド」

――「違い」にも、予想できるもの・できないものがあると認識することが大切なのですね!
では、海外体験が帰国後も活きているな、と思うことはどんなことですか?

根本先生: 何かするとき、事前にがちがちに考えなくなったことではないかと思います。当たり前だと思っていたことは当たり前ではないかもしれない、予想外のところで違いがあるかもしれない、だったら考えても仕方がないから、どうなってもよいように気持ちに余裕を持っておけばよいと、いい意味で気楽に考えるようになりました。

これはカタールだけでなく、以前いたトルコも同じなのですが、「終わりよければすべてよし」という考え方が基本にあるように思います。なので、現地の人たちと何かをする際、準備がかなりゆるかったです。こちらががちがちに準備しようとしても、相手が「まぁ何とかなるでしょう」というスタンスだったら、どうしようもありません。この価値観の違いを受け入れるほうが楽ですし、スムーズなので、考え方を変えるようにしていました。

とはいえ、やはり自分の価値観は変えられないところはあるので、できることはきっちりしたら、後は気楽に構えるようになりました。自分では「日本とアラブのハイブリッド」の考え方ができるようになったと思っています。


目的に囚われすぎず、余裕を。最終的に得るものはある

――「日本とアラブのハイブリッド」! きっといいとこ取りなのでしょうね。最後に、留学や国際交流体験を希望している学生に、メッセージをお贈りください。

根本先生: 留学を考えている学生さんは、きっとあれこれ目標や目的を持っていると思います。ですが、それに囚われすぎずに気持ちに余裕を持っていただければと思います。どうせ違いはあるわけですし、自分の当たり前が通用しないこともあります。当初の目的とは違うものであっても、最終的には何かを得ることはできるはずです。その何かが何なのかを楽しみにしつつ、自分のやりたいこともできる限りやるという柔軟に考えて、留学生活を送っていただければと思います。

――ありがとうございました!

根本先生はカタール滞在中にインタビューデータを収集し、博士論文としてまとめられました。そちらをさらに加筆・修正したものが出版されています。本記事と併せてぜひご覧ください!

根本愛子(2016) 『日本語学習動機とポップカルチャー〜カタールの日本語学習者を事例として〜 (M-GTAモノグラフ・シリーズ3)』ハーベスト社

⇧書籍名をクリックすると、UTokyo BiblioPlazaサイトにて、根本先生が著書をご紹介されているページに飛ぶことができます。


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

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