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人々の力で政治が変わっていった。80年代、韓国への留学

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.19 韓国 / 高麗大学大学院

本コーナーでは、東京大学にゆかりのある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介していきます。

今回は、木宮 正史先生に、韓国で滞在されていた当時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

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急速な経済発展を遂げた韓国へ、80年代に渡航

——1985年から1989年にかけて、高麗大学の大学院で学ばれています。初めに、留学経緯を教えてください。

木宮先生: 東京大学大学院 法学政治学研究科 博士課程で国際政治学を専攻していましたが、国際政治を周辺部の視座から逆照射するという問題意識を持つようになりました。そして、当時、南北分断体制下、急速な経済発展を開発独裁体制下で達成した韓国に注目しました。当時は軍事独裁体制下で学問の自由も十分には保証されていなかった韓国でしたが、そうした韓国の視座から、現代世界の構造を逆照射するという知的作業をしてみたいと考えました。ちょうど、私の指導教授だった故 坂本義和先生の教え子の崔相龍先生が高麗大学にいらっしゃったこともあって、高麗大学を選択しました。


生活の中にも歴史の影響が色濃く残る

——今とは異なる情勢下での韓国留学、大変だったことなどがありましたら教えてください。

木宮先生: 何よりも、韓国語を勉強し始めたのは大学院に入学してからでしたし、今のように韓国語を勉強できるような環境が整備されていたわけではありませんでした。韓国に留学して最初の半年くらいは何を話しているのか全くわからず、ヒアリングが大変でした。韓国は「反日の国」だと聞いていましたが、私個人が日本人だから嫌な思いをするということはほとんどなかったです。この点は幸運だったと思います。ただ、友人の家に遊びに行った時、その小学校1年のご子息から「ウェノム(日本の奴)」と言われたときは、やはりショックではありました。


——語学や当時の国際情勢の問題があったのですね。詳しくお聞かせください。

木宮先生: 幸い、大学の寄宿舎に居住することができたため、そこで生活していた大学院生、学部生と積極的に話すようにしました。また、毎日、新聞を読み、その内容に基づいてテレビのニュースを見るようにしました。今のようにインターネットがほとんどない状況なので、そうしたものに頼るしかなかった時代でした。

私は率直に言って日韓の歴史にそれほど関心があったわけではありませんでした。しかし、韓国での生活を通して日本の植民地支配の影響がまだ残っていることも痛感しました。日本に侵略され支配されたという歴史経験を韓国の人たちが持っていることは理解しようと思いました。


政治体制は一人一人の力で変えられることを目の当たりに

——留学中の出来事を通じて、「自分が変わった」と思うことがありましたら、教えてください。

木宮先生: 私が韓国で体験した中で最も重要なことは、「政治が人間の力によって変えられる」ということでした。私の留学時期、1985年から1989年は、民主化運動の力によって、韓国の政治体制がそれまでの軍事独裁から民主主義体制へと大きく変容した時期でした。私は、そうした歴史の現場を自分自身の目で目撃することができました。日本にいると、当時は1955年体制と呼ばれる自民党の一党優位体制が持続しており、「政治は変わらない」と漠然と思っていました。しかし、周囲の学生などの一人一人の力によって、日に日に韓国の政治体制が民主主義へと変わっていくという体験は、本当に興奮し、感動を覚えました。


異なる物の見方を知れば、物事を相対化して見られる

——帰国後も留学経験が活きていると思うことはありますか?

木宮先生: 帰国後も、韓国の新聞やテレビやインターネットのニュースに接することを日課としてきたのですが、そうした中で、同じ現象でも、日本と韓国とでかなり異なる見方をしているということも強く感じました。日韓は隣国で文化や価値観なども近いので、類似していることは確かですが、やはりその違いに注目することで、私は日本にいながらも、そうした日本でのいろいろな物の見方を相対化することができるようになったのではないかと思います。例えば、現在のロシアのウクライナ侵攻に関する見方にしても、日韓の違いを通して、日本での見方を相対化することができるようになっていると思います。


——ちなみに、留学時のエピソードで、こぼれ話などありますか?

木宮先生: 今でこそ、韓国は日本とほとんど変わらない先進民主主義国ですが、当時の韓国は学生デモを解散させるための催涙ガスが頻繁に使われ、それが大学のキャンパスにも残っていました。また、授業中に部屋の中にも催涙ガスが充満し、授業どころではないこともありました。しかし、今となっては、それが時になつかしくもあります。

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▲学位記(博士号)を撮影。


多様な物の見方が得られる経験を

——最後に、留学や国際交流をしたいと考えている学生へ、メッセージをお願いします!

木宮先生: 私は20代の半ばで初めて海外に行き、留学をしました。今の学生さんは、もっと早い時期から、こうした体験ができることを羨ましく思います。ぜひとも、いろいろな世界を自分の目で確認し、多様な物の見方など、自分の引き出しをできるだけたくさん作るようにしてください。しかも、頭が柔軟な若いうちに、そうした体験を積むのがいいと思います。

——ありがとうございました!


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

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