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新旧の社会の感覚が並存する。2000年代初め、モスクワへの留学

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.28 ロシア/ロシア国立人文大学

東京大学にゆかりある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は、鳥山 祐介先生に、モスクワ留学をされていた当時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

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モスクワに来て感じた、ソ連崩壊後も残る「前の時代」の感覚

——2001年から2004年にかけてモスクワのロシア国立人文大学で留学されています。留学へ行かれたきっかけを教えてください。

鳥山先生: 実は、それほど積極的な理由はありませんでした。学部でも大学院でも周りに既にロシア留学をした人が多くて、むしろ留学は既定路線の一つという雰囲気でした。半ば義務のような認識でした。あとは「留学しておいた方が就職に有利かもしれない」という漠たる感覚でしょうか。なんとなく雰囲気で大学受験をする進学校の高校生とあまり変わりません。もっとも、ロシアの文化を専攻していながらロシアで長く生活した経験がないことに居心地の悪さを感じていたのも確かで、音楽や演劇などに実地で触れてみたいという思いもありました。ただ、もともとインドア志向が強いので、面倒だなという気持ちが半分くらいでした。


——実は「面倒」が半分くらいだったのですね! では、実際行かれた際はいかがでしたか。現地での印象的だった出来事などお聞かせください。

鳥山先生: 一発で常識が覆されるような出来事は特になかったと思います。むしろ小さな経験を積み重ねるうちに、自分の中で当時の滞在先のイメージが徐々にできあがっていったという感じです。街中の郵便局で友人が小包の送り先を聞かれて「アメリカ!」と答えたら後ろに並ぶ人たちから「おお…」と静かな感嘆の声が上がったこと、休日にマクドナルドで楽しそうに食事する家族連れを見てほほえましく思ったこと、「西欧風のケーキ」を売る珍しいお店が周囲で話題になって実際買ってみたら美味しかったこと、そしてウクライナ旅行をしてロシア人の友人の親戚を各地に訪ね、ある村で日本から来たと言ったら「あなたの国はアメリカに分割されたんでしょう」と言われたことなどなど。

あとで思い出してみると、これらはいかにもあの時代だからこそ意義深く感じられる経験だったような気がするんです。ソ連が崩壊して、かつての「西側」に開かれはしたけれども前の時代の感覚も普通に残っているという…。今となっては追体験が難しい「あの時、あの場所」を自分も生きたんだということが改めて実感されます。


外側から見ていたのでは見落としがちな視点がある

——なるほど、その時代、その場所だからこその体験ですね。そうした体験を経て、ご自身のものの見方などにも影響はありましたか?

鳥山先生: 今あげた出来事の直接的な影響というよりは、3年あまりの滞在の中で積み重ねたこういう経験をあとで振り返って思うことなのですが、自分の軸足をロシアの内側に置いてみることで見えてくるものがたくさんあったという経験は、異文化を学ぶ人間としてもたいへん貴重なものでした。特に重要だと思ったのは、ロシアから見ると外の世界、外の文化がどう見えるかというのもロシアに関する知識のうちの重要な一部だということです。当然ながら、ロシアの人々はロシア文学ばかり読んでいるわけでもなければロシア料理ばかり食べているわけでもない、人によってはアメリカ文学やイタリア料理にそれ以上に親しんでいたりするわけですが、外からロシアを観察しているとこの視点が抜け落ちることは結構あります。もちろん、ロシアからの視点にばかり立っているとそれはそれで見えなくなるものも多いわけですが。

留学中はロシア語で論文を書いていたので、古代ギリシア、ローマ文学や近代西欧文学の引用をしたいと思ったときにはそれらのロシア語訳を探したのですが、日本語に訳されていないような作品の翻訳がロシア語だと結構あるんです。ロシアの文化的蓄積のこういう側面も日本で研究をしていたら気づかなかったかもしれないと思いました。


外国人の立場から見えてくる「マジョリティが持つ権力」

——現地にいたからこその発見があったのですね。では、海外体験全体を通じて得られたと思うことはなんですか?

鳥山先生: 国家や集団のマジョリティが持つ権力というものに対してより意識的になったと思います。私の留学はちょうどロシアでテロが頻発した時期だったのですが、当時は政府がチェチェン戦争を進めており、テロ事件はしばしばコーカサス人と結びつけられました。さらに社会不安からネオナチなどの活動も盛んになって外国人襲撃が常態化し、日本人の知人も多く巻き込まれました。また街中では警戒態勢が布かれて外国人と思しき人物のパスポートチェックが頻繁になり、それに乗じた警官による恐喝も横行しました。こういう生活を経験した結果、帰国後もお巡りさんに会ったら目を逸らして足早に通り過ぎる癖がしばらく抜けませんでした。ただ一方で、ロシアという非常にわかりやすい例を通して、権力というものが本来はどこでも暴力的なものであるという意識が肌感覚として得られたことは、日本でマジョリティ属性を多く持つ自分にとってはよかったと思っています。


——知人の方も巻き込まれたとのこと、気が抜けない時期だったのですね。権力の暴力性については、海外に出る/出ないに関わらず意識したい点だと思いました。留学中、その他にも印象的だったことをお聞きできますか。

鳥山先生: 日本から比較的遠い地域での長期滞在はその周辺に気軽に行けるチャンスでもあるので、私もウクライナやベラルーシ、コーカサスなどに行きました。

とりわけ思い出深いのがウクライナで、ハルキウ、キーウ間のさまざまな場所を通りましたが、ポルタワ県の農村に宿泊したときには現地の人から「ナチス・ドイツ軍以来、初めての外国人」と歓迎されました。当時は単なる笑い話でしたが、今思い出すと複雑な気持ちにさせられる言葉でもあります。またキーウではユダヤ人のかぶる帽子、キッパを被っている人をよく見かけたので一緒に行ったロシアの友人に「モスクワではこれほど見ないね」と言ったら「モスクワでは危ないかもしれない」とのことでした。ピリピリしたモスクワとはだいぶ雰囲気が違うという感覚は確かにありました。

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▲2003年9月、旅行で訪れたキーウの独立広場。「2013〜14年の反政府デモの舞台となった場所です」と鳥山先生。


研究面、交友面…。留学時に築いたことがその後の助けに

——ロシア以外にも行かれたからこそ見えてくる、別の視点がありそうですね。では、帰国後も海外体験が活きているなと思うことはありますか?

鳥山先生: 私の場合、留学先のロシアは単なる勉強の場であっただけでなくそれ自体が研究の対象で、さらにロシア語を教えたりもしているので、それらに関しては留学経験と全く無関係な部分を探す方が難しいかもしれません。

直接的には、学位取得のため論文を執筆する訓練を徹底して受けたことは大きくて、ロシア語論文の執筆が今も自分の研究活動の一部になっていることはこのときの経験に大いに助けられています。あとは研究関係であれそれ以外であれ、今のロシア関係の交友関係の基礎がこのときに築かれたのも自分にとっては重要でした。もともと社交的ではなくて人脈作りなど面倒だと思ってしまう方なので、大学院に入り、人が集まる場に継続的に顔を出せるだけの長いスパンでロシアに住んだのは、良い選択でした。


留学先も世界のほんの一部分。「知った気分」に要注意

——長期留学で得たものが今にも続いているのですね。最後に、留学をしたいと考えている学生にメッセージをお願いします!

鳥山先生: 留学は可能なら是非した方が良いですし、事前に確固たる理由がなくても構わないと思います。ただし、どこであれ留学先も広い世界の中の一つの場所に過ぎないので、そこで全世界を知ったかのような錯覚に陥らないよう気をつけてください。人間はそれまで自明視していたこととは異なる「二番目の知識」を得ると過度に興奮してしまい、三番目以降の知識を受け付けなくなることがあります。

また、本だけでは得られない知識が得られるのが留学のメリットですが、直接的な経験だけでは得られないものも世の中には膨大にあるので、同時に読書もおろそかにしないようにしてください。

——ありがとうございました!

📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

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