魔法少女になれなかった私
私は魔法少女になりたかった。
そして、なれると思っていた。
いつか、その時が来たら、妖精が迎えに来て、凡人の私は凄い力を持った特別な存在になって、退屈な世界は劇的に変わるのだと、そう信じていた。
そして、
気がついたら大学生になっていた。
えっ
※魔法少女になれるのは高校2年生までです。(当社調べ)
なぜ、選ばれなかった? どこで道を誤った? 私が受験勉強をしていた間にも、魔法で戦っている子がいたと思うと悔しさがこみ上げてくる。なんで私はシャーペンと参考書で、お前は魔法のステッキと魔法書なんだ!許せん。選ばれた者への憎しみ、妬み。
大学生になりたての私はそんな絶望感を抱いていた。
小さい頃、友達と遊ぶのは私の中では一種の修行だった。鈍臭く、気が弱かった私にとって「友達と遊ぶ」ことは「必死に周りについていく」ことでもあった。
鬼ごっこで1時間ずっと鬼だったり、SMAPのメンバーを知らなくて知ったかぶりをしていたら、「推しは誰だ」と問い詰められて泣かされたりもした。今振り返ると完全にのび太ポジションだ。
いわゆる普通ができなくて、その差を埋めようと取り繕う日々で、楽しいけど少し疲れていた。
そんな時、1人で空想の世界に浸るのが回復の儀式だった。物語を考えたり、絵に描いたり、本を読んでその世界に想いを馳せたり、いつか自分も魔法少女になるんだと思ってワクワクしたり。
現実から逃げて異世界で遊ぶ「空想」が私にとって最高の「遊び」であり「救い」だった。
たしかに空想の世界は楽しかったけど、私はあまりにもこの世界を置いてけぼりにしすぎた。
大学生になり、異世界への脱出を断念せざるを得なくなった私は、この世界で遊ぶ術をほとんど持ち合わせていなかった。
うーん、こまった。
そこで考えた私がこの世界と仲良くなる作戦。この世界での遊び方は
「空想をこの世界に降ろしてくる」
ことである。
頭の中で空想して満足するだけでなく、私の頭の中のイメージをこの世界で実現すること。
これが私が考えた、私とこの世界との両思い大作戦だ。
そして、今回の小林ゼミの企画も作戦の一環だ。本郷キャンパスという現実世界に、私の空想を降ろしてくる壮大な遊びである。
しかし、現実は厳しい。ただ空想するだけでなく、実現するということは本当に骨が折れる。企画をやっていても、本当に遊び下手だなあと、自分の実力不足を痛感する日々だ。今も、遊び上級者のゼミメンバーたちに手取り足取り遊び方を教えてもらっている状態で、たまに心が折れて、やっぱり魔法少女になる路線で頑張ろうかなと思ったりもする。たまに。
こうして魔法少女になりたくて、なれなかった私はようやくこの世界と向き合い始めた。
魔法が使えなくても、異世界に転生しなくても、きっとこの世界を今より楽しいものできるはずだ。
この世界に向き合って、この世界で遊ぶはじめての企画。
目一杯遊びます。
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このnoteは、東京大学文学部小林真理ゼミが
「わたしと遊び」をテーマに書いたリレーエッセイ第15回です。
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