カメラと自分 その2
YASHIKAとの思い出
これまで写真と真剣に向き合ってこなかった。
ゆえに特別な縁は感じていないのですが、今振り返ると子供の頃からカメラを触っていました。
小学生の頃、寝台特急「ブルートレイン」がやたらと流行ったときがあり、親友と連れだってよく写真を撮りに行きました。そのときに自宅にあったのがYASHIKA もちろんフィルムの時代です。当時、価値はよくわからなかったけど我が家にとっては高級機でした、多分。
家族がカメラを使うところも見たことないし、なぜこのカメラが家にあったのかいまだに謎です。
とにかく家に鎮座していて、親に頼み込んで貸してもらっていました。小学校4年生の時です。すごく重くて、分厚い皮のケースが付いていました。機体700㌘以上らしい。電池はなし。「レンジファインダーカメラ」とよばれるファインダーとレンズ位置が一眼レフのように同軸上にないタイプ、ピント合わせがファインダーと同調しているのだけれど、子供にとっては合わせにくい癖のあるタイプだったという記憶です。
誰も使い方を教えてくれないし、見よう見まねで撮影、しかしピンボケばかり。露出もいい加減、買うフィルムのISOもよく分からない。
連れの友人は俗に言う「ばかでもちょんと押せば写る」カメラ、たしかキャノンのストロボ付きでした。写真を比べるとピンボケがないので圧倒的に友人の写真が美しい。ヤシカはストロボないし、ピント合わせなきゃいけないし自分のカメラにはいつも嫌気がさしていました。しかし設定がはまるとなんともいえないしっとりとした写真が撮れたのを覚えています。50枚に一枚くらいかな(^_^;
話がそれるんですが……YASHIKAの思い出①
ある朝、ブルートレインの写真を撮るために、早朝5時頃家を出て駅で友人と待ち合わせだったのですが、駅に着くと自転車の後ろにくくりつけてあったカメラがない。
往路を引き返すも見つからず。自宅に戻り、朝っぱらから親を起こして事情を説明してこっぴどく怒られ、もう一度探しに行ったり交番に行ってみたり……
実は踏切を渡ったときに振動で落としたらしく、新聞配達員が拾ってくれて交番に届けてくれていました。あわやヤシカがブルートレインにひかれるところでした(^_^;
やがてブルートレインブームは終わったのですが、中学入学と同時に写真が綺麗に撮れないジレンマ?があってか、なぜかカメラクラブに入部。
「よし、ここで操作方法を覚えよう!」
しかし、クラブの先輩達はいまでいう「オタク」っぽい輩ばかり
(失礼m(_ _)m)
で暗い暗室で専門用語を並べ何を言っているのかちんぷんかんぷんで、即辞めました。
以降カメラとの縁は無かったのですが、大学生になってバイクの免許を取りツーリングにYASHIKAを持ち出しました。この頃やっと使い方をある程度理解し、ピントだけはいつもしっかりあわせて「ピントが合った写真が最大級の満足」というレベルで楽しんでいました。
YASHIKAの思い出②
初めて行った北海道のソロツーリング。
雨の日、湖畔のトイレに入ったとき、用を足すためにカッパを脱いでカメラをどこかへ引っかけたのですが、用を足した後カッパを着てそのまま立ち去ってしまいました。おいてきちゃったんですね。
数百キロ走ってからカメラが無いことに気づき、近くの交番に駆け込むと、湖畔管轄の交番に連絡してくれて、親切な人が交番に届けてくれて、ヤシカ発見される!こいつしぶとい!
しかし自分の予定があるため取りに引き返すことが出来ず。
おまわりさんに頼んで着払いで現地から神奈川の自宅に送ってもらいました。
ところが自分は自宅に連絡ひとつせずに10日以上にわたり北海道をふらついており(今みたいに携帯電話なんてないので)、ある日突然、自宅に息子が持って行ったカメラだけ届き……差出人は警察で……
受け取った親は唖然。何かの暗示か、事件に巻き込まれたのか……あわや捜索願を出されるところでした。これまた帰ってからこっぴどく怒られました。。
YASHIKAに関わると「交番」と「怒られ」てばっかりですね。
自分とカメラ その3 に続く……
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