見出し画像

人はなぜ理不尽な社会を受け入れてしまうのか?

理不尽な社会が好きな人なんてまずいません。なのに、既存の社会をより公正なものに変えていくために動く人は少なく、それどころか、抑圧されている人ほど既存の社会システムを受け入れ、擁護してしまうことがあります。どうしてそんなことが起こるでしょうか、どうすればそれを乗り超えられるのでしょうか、政治心理学の(小さな世界では超有名な)理論、システム正当化理論から解き明かしていきます

今の日本はどうですか?

「今の日本はユートピアですか?」と聞かれて自信をもって「はい」と答えられる人はまずいないでしょう。

コロナウイルスの脅威とそれによる経済問題、貧困、自殺、待機児童問題、温暖化対策の遅れ、様々なマイノリティーへの差別・人権侵害、劣悪な労働環境、所得格差、ジェンダー格差、消滅都市、少子高齢化(に伴う社会保障の問題)、教育格差、エネルギーや食料自給率の低さーーーー。

今のこの社会は、これでも全然挙げきれていないほどたくさんの課題を抱えています。到底ユートピアとは言えません。これだけの欠陥がある以上、よりフェアでより強靭でより生きやすい社会にしていくことは可能だと考える方が自然であり、実際それぞれの社会課題に(完璧ではないことも多いですが)様々な解決法・対策が提案されています。

また、一つ一つの社会課題の陰には現に苦しんでいる人がたくさんいること、(多くの社会課題は)放置すれば将来を生きるさらに多くの人々の生活が脅かされ続けることを考えれば、私たちにはそのような社会を目指していく責任さえあるという考え方もできます。

例えば男女の賃金格差の解消にはこのままでは100年近くかかってしまうという報告があります(World Economic Forum, 2019)。この問題に対して今と同程度の対策しかしないということは100年間女性に対して不公正な扱いを続けるといっても過言ではありません。このような現実を踏まえれば大胆に社会を変えていく責任があると感じられるのはないでしょうか。

気候危機(温暖化)に関しても、今の不十分な対策なままではその被害はあまりにも甚大になるだろうことは分かり切っています。熱波、水害、干ばつ、食料事情の悪化、それに伴う気候難民の増加などの様々な悪影響があり(IPCC, 2014)、それらが単発ではなく複合して慢性的に起こることを考えれば、人類文明そのものが脅かされてしまうといっても過言ではありません。それを踏まえて考えれば、急速に排出量を下げるため、社会を変えていくのは将来世代や、(ある程度若い人にとっては)老後の自分に対する義務と考えられるのではないでしょうか。

しかし、その一方で今の社会を変えていこうというと思う人はあまりにも少ないことがよくあります。アクティビストへのバッシングや、今の社会で抑圧されている側の人が現状を肯定するような考えを抱くことは実は珍しくありません(Baadan et al., 2018)。


(もっとも不遇なはずの、下流にいるキャラクターたちは、流しそうめんを独占するポムポムプリンに抗議していない。このようなことは現実世界でも少なくない)

では、なぜこのようなことが起こるのでしょうか、心理学の観点からそれを説明したのが、このレポートの本題である、システム正当化理論です。

システム正当化理論とは

25年のも間、大学院生の時に浮かんだ一連の疑問に私は答えようとしてきました。なぜ一部の女性は男性と同等の給料を受ける権利がないと感じるのか。(中略)なぜ人々に自分のために立ち上がってもらうことがこんなにも難しいのか、なぜ個人的な変化や社会的な変化がこれほどまでに困難であり、苦痛でさえあると感じるのだろうか。(中略)なぜこれほど多くの貧しい人々が富の再分配に反対するのだろうか。  
    ーージョン・ジョスト(2017)筆者訳

なぜ多くの人々は明らかに理不尽な社会を受け入れるばかりか、それを擁護してしまうのかーーーー。その問いに真正面から向き合った政治心理学者の一人、ジョン・ジョストらが提唱し、25年間の時を経て発展した、システム正当化理論ではその疑問に次のように答えます(Osborne, 2018)。

①人間には現状のシステムを正当化したいと思う気持ち(システム正当化動機)がある。(ここでいうシステムは、ジェンダー規範や資本主義、社会構造など様々な種類のものが想定されています、また個人差や状況によってシステム正当化する度合いは変わります)

②なぜなら人は確実性や安定性などを求める欲求を持っているが、現状のシステムを正当化することで、その欲求が主観的に満たされるから

③だからこそ、自分にとって不利なシステムだったとしても、それを肯定してしまうことがある。

はじめは他の心理学者から厳しい批判を受けたシステム正当化理論ですが、徐々にそれを支持する証拠がどんどん蓄積していき、今では政治心理学の世界でパラダイムシフトを起こした理論の一つとして高く評価されています(Osborne, 2018)。

システム正当化の甘い罠?

では、このシステム正当化は、システム正当化をする本人や社会にとって何をもたらすのでしょうか?

ある意味当たり前ですが、システム正当化が安定性や確実性を求める人間の欲求を満たす以上、(少なくとも短期的には)システム正当化が 幸福感につながること が示唆されています。

実際、保守派の人がリベラルより主観的な幸福感が高いという研究や、システム正当化する傾向が強いマイノリティほど幸福感が高かったという研究がある一方で、システムに公然と立ち向かうアクティビストの間ではバーンアウト(燃え尽き症候群)が広く見られます(Baadan et al., 2018)。

とはいえ、システム正当化を続けることは、人々に負担をかけているシステムを維持することでもあり、長い目で見たときは大きなダメージがあることが考えられます。実際にシステム正当化傾向が強い人はシステムに立ち向かうような社会運動には反対する傾向にあるのに対し(Jost et al., 2012)、システムを擁護する運動には賛成する傾向にあるという研究もあります(Osborne et al., 2018)。

あえて厳しく言えば、現実の社会が理不尽であり、変革が必要だという事実から「逃げている」だけであり、システム正当化は甘い罠と言えるかもしれません。

一人一人の、少なくとも多くの人の心にはシステムを正当化したいという気持ち(システム正当化動機)があり、それは短期的に自分の欲求を満たすためだとされていること理解してもらえたかとは思います。

しかし、多くの人がこれを乗り越えて、より良い社会を望まなければ、社会がよりよくなることはまずありません。

社会を変えたいと思う人はどうやって自分と他の人のシステム正当化動機に立ち向かっていけばいいのでしょうか。

対策1:システム正当化動機を逆に利用する。

 システム正当化動機があるため、現状のシステム・社会制度をラディカルに変えると言えば抵抗を受けます。だったらシステムを抜本的に変えると言わず、むしろシステムを守るための変化だと主張すれば抵抗を受けないはず、というのがこの対策です。

 「いやシステムを変えようとしているなら、システムを変えると言わないのは不可能ではないか」と思うでしょう。実際にそういう面は否めません。実際に僕も社会の価値観を大きく転換するしかない場合にははっきりそういうしかないと思います。

 しかし、時と場合によっては、これは不可能なことではありません。既存の価値観・理想を破壊して、新しい理想を描くのではなく、今ある社会で共有されている理想を実現するために変化を起こすのだというスタンスを取ればいいのです。社会に共有されている価値観や理想は案外にたくさんありますから、望ましい変化とそれらを結びつけるのは場合によっては可能です。

 このようなアプローチを多用した人物として、先に述べたジョン・ジョストとガウヒャーは公民権運動の活動家キング牧師を挙げています。マルコムXが「自分はアメリカ人ではない、アメリカ主義の犠牲者、2200万人の黒人の一人だ」とアメリカ社会の不正義を厳しく追及したのに対し、キング牧師はアメリカの理想に基づいて次のように黒人への抑圧を非難したのです(Gaucher&Jost, 2011)。

我々の共和国を建設した人たちが合衆国憲法と独立宣言に高尚な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆるアメリカ国民が受け継ぐことになる約束手形に署名したのである。この約束手形には、ある誓約がある。それは、すべての人々が生命、自由、そして幸福の追求という、奪われることのない権利を保証される、ということだ。 (中略)私には夢がある。いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は生まれながらにして平等であることを、自明の真理と信じる」(訳注・アメリカ独立宣言)というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢が。
            ーーーキング牧師(1963) Huffington Post訳 

 キング牧師の有名なワシントン大行進の演説の一節を見ると、アメリカ独立宣言というアメリカの既存の理想を尊重して、それを実現するために変革が必要だと主張していることがわかるでしょう。

 実際にこのようにシステムを露骨には否定しない形のやり方を一部の研究者たちはsystem-sanctioned changeと呼び、その可能性に注目しています(Feygina et al., 2010)。

 日本のリベラル派の多くが護憲派であり、日本国憲法に新しい理想(LGBTQIAなどの尊重など)を積極的に明記していくことよりも、現行憲法の理念を維持し、実現していくことを求めているのも、意識的か無意識的か分かりませんが、このような背景があるのかもしれません。

ここで注意すべきはこの対策はあくまで例外的な手法であって、実際にラディカルに社会を変えていこうと主張している人を戦術面で劣っていると評価するのは、もってのほかだということです。抜本的な変化が必要な時はストレートにそう言うしかありません。

対策2:変化は起こるものだと強調する

では抜本的な変革が必要であり、それを言わなければならない場合はどのようにシステム正当化動機を避けることができるのしょうか?

その時に有効だと考えられるのは「変化は起こるものだ」と強調することです

例えば女性の国会議員が近い将来に急増することを示唆することでシステム正当化動機が高まっている状態でも、女性の政治への関心や投票行動を高めることができたというカナダでの研究もあるなど、近い将来の変化を示すことでその変化に前向きになることが示唆されています(Gaucher&Jost, 2011)。

その理由、変わることがわかっている場合、変わることも含めて主観的な「現状のシステム」と認識されうるからと考えられています。

実際、社会というのはそもそも絶え間なく変わり続けるものですから、将来起こる変化を強調して、変革への抵抗(システム正当化動機)を抑えるのは多くの分野で実行可能なものだと思います。

マルクスが革命を歴史の必然だと主張したことは、一見、「歴史の必然なら自分が参加しなくても勝手に実現するから参加する必要がない」と労働者に思わせてしまうから逆効果なのではと思うかもしれませんが、実は変化の必然性を強調したことが、共産主義が広まった原因の一つなのかもしれません。

まとめ:社会を変えようと叫ぶ前の闘い

社会変革を叫ぶのが簡単で自己満足だとさえ思うなら今すぐに悔い改めた方がいいです。

人には現状のシステムを擁護したいという気持ち、システム正当化動機がある以上、社会を変えようと思うこと自体が難しいからです。そのようなシステム正当化動機は短期的には幸福感をもたらすかもしれませんが、多くの人が理不尽な社会に抗うことをせず、そればかりか社会を変えようと動いている人に難癖をつけて叩くようなことをしていれば、理不尽な社会は人を苦しめ続けるだけです。気候変動の文脈ではこの国や人類の文明が危機に瀕します(少なくともそのリスクは高まります)。

あなたが、社会を変えようと動いている人を批判したくなった時、自分がシステム正当化動機に突き動かされていないか、一度立ち止まって考えてみてください。

またあなたが社会を変えようと動いていて、他の人の無関心・反発に苦しんでいるのであれば、現状の社会を否定しない、変化を必然と思わせるなどの対策を試みてるのもいいでしょう。心理学の知見を使うことが人を操るようで抵抗があるのあれば、システム正当化動機という言葉を知っているだけで、少しは楽になるかもしれません。


注:僕は心理学の研究者ではないですし、このnoteでは社会変革を求める一市民としての視点で書いているため、やや客観性が乏しい可能性があります。疑わしい記述があれば参考文献でお確かめください。

参考文献

Badaan, V., Jost, J. T., Osborne, D., Sibley, C. G., Ungaretti, J., Etchezahar, E., et al. (2018). Social protest and its discontents: A system justification perspective. Contention, 6(1), 1-22.
→システム正当化理論と抗議運動について

Feygina, I., Jost, J. T., & Goldsmith, R. E. (2010). System justification, the denial of global warming, and the possibility of “system‐sanctioned change”. Personality and Social Psychology Bulletin, 36, 326–338.
 →”system-sanctioned change”について

Gaucher, D., & Jost, J. T. (2011). Difficulties awakening the sense of injustice and overcoming oppression: On the soporific effects of system justification. Conflict, interdependence, and justice (pp. 227-246) Springer.
 →社会を変える人の視点でシステム正当化理論がどう役に立つかがわかる文献

IPCC, 2014: Climate Change 2014: Synthesis Report. Contribution of Working Groups I, II and III to the Fifth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [Core Writing Team, R.K. Pachauri and L.A. Meyer (eds.)]. IPCC, Geneva, Switzerland, 151 pp. →温暖化についての包括的な報告書。様々な研究の蓄積なのでめちゃくちゃ長いかつ英語です。気候変動と対策の現状について信頼できる資料で軽く知りたい人は国連環境計画「排出ギャップ報告書2019」の一部日本語訳が参考になります(https://www.iges.or.jp/jp/publication_documents/pub/policyreport/jp/10436/UN_Emissions+Gap+Report_2019_J.pdf)

Jost, J. T., Chaikalis‐Petritsis, V., Abrams, D., Sidanius, J., van der Toorn, J., & Bratt, C. (2012). Why men (and women) do and don't rebel: Effects of system justification on willingness to protest. Personality and Social Psychology Bulletin, 38(2), 197–208.
→システム正当化と抗議運動への参加との関係について

Osborne, D., Sengupta, N. K., & Sibley, C. G. (2019). System justification theory at 25: Evaluating a paradigm shift in psychology and looking towards the future. British Journal of Social Psychology, 58(2), 340-361.
 →システム正当化理論の概観・歴史について

Osborne, D., Jost, J. T., Becker, J. C., Badaan, V., & Sibley, C. G. (2018). Protesting to challenge or defend the system? A system justification perspective on collective action. European Journal of Social Psychology.
 →システム正当化と抗議運動への参加との関係について

World Economic Forum.(2019). Mind the 100 Year Gap. Retrieved from World Economic Forum: https://www.weforum.org/reports/gender-gap-2020-report-100-years-pay-equality ジェンダーギャップについての報告書

Huffington Post. (2013).キング牧師「私には夢がある」演説から50年 ワシントンで大行進【当時の演説全文】. Retrieved from https://www.huffingtonpost.jp/2013/08/25/martin_luther_king_n_3811698.html


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?