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【人生のためになる言葉】「日日是好日」を深掘り!さらにポジティブになる方法

久々の【人生のためになる言葉】は「日日是好日」を取り上げてみました。

禅問答の書『碧巌録』にある逸話がもととなっており、日日是好日(にちにちこれこうじつ)と読みます。

一般的に言われる解釈よりちょっと深掘りしていると思います。どうぞ最後までお付き合いください。

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かつて中国の禅僧・雲門文偃(うんもんぶんえん)が弟子に「夏の修行が終わる七月一五日までのことは問題にしない。その日以後のことを、一言で言い表してみよ」と問いかけたそうです。

雲門は自ら「日々是好日」と答えました。シンプルにとらえれば「毎日がよい日だ」という意味です。

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『曹洞宗大本山 總持寺』公式サイトでは次のように書かれています。

人人悉く道器なり、日日是好日なり、
      ただ子細に参と不参とに依って
  徹人未徹人あり

本山開祖瑩山禅師『伝光録』第十祖 脇尊者章

瑩山禅師が『伝光録』で説かれたお言葉です。私なりに解釈しますと「人は誰もが、尊い仏の道を歩むにふさわしい器である。そして仏の道を歩むとき、一日一日はこの上なく尊い日になるのだ。ただ、仏の教えを学びこれに参ずるか、否かによって、尊い道を歩む人と歩まない人との違いができるのだ。」という意味になります。

令和3年4月 本山布教教化部参禅室長 花和浩明

   
詩人で書家の相田みつをさんはこんな詩を残しています。

日日是好日
  
ふっても てっても
日日是好日
泣いても わらっても
きょうが一番いい日
私の一生の中の
大事な一日だから


相田さんの言葉(要約)
人間の考え方、人間の思いというのは、いつでも自分中心です。
好い日、悪い日といっても、それはどこまでも、自分にとって都合の好い日であり、自分にとって都合の悪い日なんです。
雲門禅師のいう好日とは、好い日、悪い日という比べっこをやめた話なんです。
つまり、好悪を越えた話です。自分の都合という「モノサシ」を捨てた時の話です。
自分の都合、自分の損得勘定の「モノサシ」を離れて、あるがままに受け止めていく、つまり、貴重な体験、貴重な反省の機会として受け止められたら、悪い日がそのままで、好い日に転換するのではないでしょうか?

平成25年12月 「光明寺だより84号」より


映画『日日是好日』 

森下典子さんの自伝エッセイをもとに実写化した映画『日日是好日』(2018年)が話題になり、言葉自体も広く知られるようになりました。

曹洞宗大本山の花和浩明さんや相田みつをさんの解釈を胸にこの映画を見ると、また違った趣を感じませんか。黒木華、樹木希林、多部未華子たち主要キャストが演じた役柄の心情に思いを馳せてみましょう。


日日是好日をよりポジティブに考える

臨済宗老師でMBA禅師の井上暉堂さんは著書のなかで「日日是好日」について踏み込んだ解釈を展開しています。

自身の造語「楽者(らくしゃ)」(※この世の中を、そしてこの人生を、真に悠々と楽しむ人)について語る文節でのこと。

日日是好日とは
「こだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、今日のその日一日、一瞬一瞬をただありのままに生き抜く、清々しい境地を指します。

嵐の日であろうと、なにか大切なものを失った日であろうと、ただひたすらにありのままに生きればすべてが好日になるのです。

『楽者』もこうした心境、境涯をとても大切にします。
つまり好日の好は善悪好悪の相対的な「好」とは解さないことです。

「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」
「失ってしまったか、よし、これをどうにか改善しよう!」
と積極的に生きる決意“よし”がこの“好”といっても過言ではありません。

井上暉堂『ホトケの経済学』より



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ややもすれば「毎日がよい日だ」と穏やかなイメージを受けがちな日日是好日。

好い日だ悪い日だと比べることなく「あるがままに受け止める」思考から、さらにポジティブに生きるための思考へと発展させることができるのです。

以上、「日日是好日」を深掘りしてみました。最後までお読みいただきありがとうございました。

いずれ【人生のためになる言葉】シリーズの次回作も書く予定なので、引き続きよろしくお願いします。



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