神田直樹(文科Ⅰ類2年)ー体験記Ⅲ

神田直樹(文科Ⅰ類→法学部2年)

2019年9月に、UTFRの2代目代表を襲名いたしました、神田直樹と申します。
そろそろ私の経歴も人口に膾炙してきたかなと思うのですが、端的に自己紹介をしますと、高校に通っていない(通信制高校卒)、塾にも人生で一度も言ってない、完全独学東大本試験343点で合格、という経歴を持つ、現在法学部内定の2年生です。

 実は私の高校時代の体験記は、2019年5月発売の『非進学校からの東大合格体験記第2弾』(有料webページ https://note.mu/utfr/n/nca0afad19da4)にも掲載されておりまして、また、高校に行かないことのメリットはwebサービスnoteの無料記事「通信制高校卒東大生が考える『スターバックスの成長戦略と東大受験戦略は大体同じ』」(https://note.mu/utfr/n/n5bd70de10aa0)でも語っております。
 これらの記事をご覧いただくと、私の受験期がどれだけ破天荒で、普通ではありえない選択をしているか、お判りいただけると思うのですが、その一方で「こんなのは参考にできない」「君は天才だったからこんな方法がとれたんだ。他の人には不可能だ。」という感想も色々漏れ聞くことがありまして、それは少し実情と違うかもしれない、と思いまして筆を取った次第であります。
 やはり東京大学におりますと、度々、常人とは比べ物にならないような記憶力を持った東大生や、IQの高い東大生を見ることもありまして、そんな東大生と比べても、私は少なくとも頭のつくりは普通の人間であることを痛感せざるを得ません。実際、小学生時代もそうでした。確かに平均よりは優秀な児童であったかもしれませんが、学校で行われるテストなどでも100点を取ったことは一度もなく、将来神田は東大に行くと考えた方はそう多くないのではないか、と思います。

 ですが、そんな中においても、今から昔を振り返ると、小学生の時からすでに東大に合格するための最善手を取り続けていたような気がします。頭のつくりは普通であったとしても、ポイントポイントでの運用はとてもうまくいっていた、という実感があります。
 そこで、今回皆様には、僕が第三者から見ても平々凡々だった時代、普通の人間だと思われていた時代である幼・小・中時代にフォーカスして体験記を執筆してみたいと思っています。これをご覧いただければ、僕の受験生活とは、換言すると「普通の人間が最大効率的な手段を、驚異的な意思決定能力によって選択した」というストーリーであることがわかると思います。
 つまり、前回の合格体験記もそのつもりではありましたが、今回も私がお届けしようと思っているのは、「再現可能」な東大への合格プロセスです。なぜならば、私は頭のつくりそれ自体はいたって普通ではあったが、振り返ると、少なくとも東大合格のためには最善手を取り続けられていた自信があり、そして私が一切アプリオリに特別な人間でないがゆえに、模倣が可能であるからです。


 まず、前回の体験記に書いたことを要約しますと、以下のようになります。
・東大に最も近い高校は通信制高校
・東大合格のために必要な要素の一つは、まず東大にチャレンジできるための「自信」
・「自信」を醸成することに関して、常日頃周りと比べて自信を失うくらいであれば、一人で勉強に没頭したほうが結果的に糧になるのではないかという持論
・もちろん勉強時間の確保という観点から言っても、勉強時間を最大化できるのは高校に行かないこと
・また、空いた時間で自分の好きなことができ、特技も伸ばせるので、東大に入ってからもアイデンティティを保ちやすいというのも高校に行かないことのメリット

このような感じではあり、通信制高校が東大受験に関しては素晴らしい選択になりうる、という話でありました。とはいえ、このような勇気ある意思決定や、勉強をやり遂げられる力というのはどこでついたのか、ということを考えると、やはりそのベースは15歳までに身についたのだと思います。
と、いうわけで、生まれてから15歳までの自分語りにお付き合いください。


実際に端緒はすでに保育園に通っていた時代にあり、保育園は比較的厳しいところだったことも大きいと思います。保育園にも関わらず、俳句や作文、足し算や引き算を習いましたし、月に1度体力テストを行い、各種目の上位3名まで発表されたりもしていました。競争を意識しながらいきるきっかけになったかと思っています。
また、私は一人っ子で3人家族なのですが、家族全員かなりおしゃべりであり、毎日よくしゃべっていたことは、読解力の向上や、自尊心の向上に寄与したかと思います。特に、私の両親は、私に対してまったく大人と話すような言葉づかいで話していまして(赤ちゃん言葉を絶対に使いませんでした)、個人的にはこれは言語運用力の発達に大変良かったのではないかと思っています。
さらに、保育園時代の学力の成長に良かったツールの一つが漫画です。漫画といっても、子供向けの者ではなく、5歳のころから植田まさしさんの『フリテンくん』(『コボちゃん』でも『かりあげクン』でもなく笑)や高橋留美子さんの『めぞん一刻』をガシガシ読んでいました。当時は意味も分からないようなシーンも多かったのですが、一つ一つ親に聞きながら、どんどん読めるようになっていったと思います。このように、園児にして既に、国語的な意味では完全に大人の世界に住んでいました。この点に関しては、すごく恵まれていたなあと思います。

茨城の保育園で若干野性的に育った僕は、東京の小学校に通うようになってもその傾向は変わらず、毎日ダッシュで家に帰り、玄関先に黒いランドセルを放り投げて、バットとボールを手に取って外に駆けていく、そういう少年でした。当然塾にも行かず、本もほとんど読まず、勉強の「べ」の字もありませんでした。
習い事といっても、自主的に始めた書道教室と水泳だけで、いたって平凡な小学生であったかと思います。
ただ、この時点でよかったことがあったとすれば、親が私に対して「勉強するな」ってよく言っていたことなのかな、と思います。普通の親は「勉強しろ」というのに、私の親は何故勉強するなって言うんだろう?と毎回とても疑問に思っていました。当時もなんでこんな変なことを言うんだろうと思いつつも、愚直にその教えを守り、いわゆる勉強というものはほとんどしない小学生時代でした。


この「勉強をしないことを奨励される」という状況は、中学になってから素晴らしい作用をもたらし始めます。

小学6年生の3月、急にドイツのミュンヘンに行くことが決定し、戸惑いもありつつ、4月には現地の日本人学校に入学しました。日本人学校というのは、私立という区分でありつつも、日本の公立学校の先生の中から希望者が集まり、日本の公立中学とほとんど同じカリキュラムで授業が行われる学校です。ただ、ミュンヘンはやはり日本人の絶対数が少ないので、各学年10人弱程度の小規模な学校でした。
中学生にもなると、なかなかテストの内容も複雑になってきましたが、それでも「勉強しない」を旗印に、家に着いたとたんiPadでパズドラをずっとやり続けていました。
ただし、勉強しないとはいえ、テストの2週間前から勉強をする習慣をはじめました。でも、必ず「1日30分だけ」。この1日30分というのは、実質的にやった平均時間ではなく、自分自身に強烈に課したルールでした。それ以下は許されるが、30分より多く絶対勉強をしない、これが自分に課した決まりでした。

それは、やはり勉強するな、という教えもありますし、また、冷静に考えると「高校になったらこの何倍も勉強量があるのに、今からめいっぱい勉強をしているようでは、高校生になったら絶対に時間が足らないのでは?」と考えたこともあります。
30分という時間は絶妙で、なんでもかんでもやってる暇はありませんし、集中していない時間など許されません。そこで、30分間、延々と教科書を読むという勉強にしました。
この手法を、高校においては約22倍の時間の1日11時間に拡張したのですから、時間が有り余るのも当たり前です。
まとめると、小中学生にとって重要なことは「勉強の時間を制限するという縛り」なのではないか、ということが今回の私の提言です。

ちなみにこの手法は先生には認められず、勉強時間の増加を求められましたが、それは高校に行くことをやめた遠因となりました笑


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