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7/2 全と一

東京での音楽を描く’音楽リテラシー講座終了

今日は東京の娘と東京散策したあと日本橋で別れ、
飛行機に乗って愛媛に帰ってきました。

東京での講座
(音楽を描く’ 音楽リテラシーと、
音程が不安の人のための音楽講座、個人レッスン)
は昨日で終わり。
次は8月25日からになります。

東京での講座はまとまってあるので
あとで振り返ってみて
なんとなくひとくくりのテーマがあったような気になります。
今回は、全と1、といえばいいのかもしれません。
部分が全体を支え、全体性が部分に光を当てる、というよなこと。
そして、初めてやっとこの段階に入ってきたんだな、と感慨深いものがありました。ある人にとってはそれはハーモニーの導入であったり、ある人にとっては、基本に立ち返る意義の再認識だったり。

4年続けたそれぞれの体験の一つの結実

今回は新しい受講者がなかったので、そのかわりじっくりと
継続の受講者さんと時間もとって対話もしながら進めることができました。
それぞれに、なんとなく変わったかも、というのではなく、演奏が確実に変わってきている、とか、いままでバラバラだったパズルが繋がてきた、という感想をいただきました。
実際、演奏も表情も変わってきておられるのが、はっきりと分かります。
皆さん、それぞれに、「自分の音楽」が何を指しているのか、をもうわかっていて、それが個々の体験でありながら、「何」というところの同時性も理解することができておられるのではないか、そんな気がしました。

そのためのキーワードが全体性と部分との関係性、みたいなことだったな、と。


全と一


全と一、全体性が部分を支え、部分が全体を支えていく、その多相で有機的な繋がりは、音楽、という面でも、人の体験、という観点からも。

そのために、ザクッと大枠で掴んでいくことと、細やかに微細に丁寧に紡いでいくこと。それを、繰り返しながら、全と一で総体の音楽、そして、自分の体験というもの、インプットとアウトプットのフィードバック。全が一、一が全。

それから、もう一つ、別の面からも「全と一」と言えるとおもったのは、個人の極めて個人的な体験としての音楽体験が実ってきて、漠然としていた「自分の音楽」をきき、奏でるということが具体的になってきたことで見えてきた、普遍性とでもいえそうなもの。

それは私一人にではなく、それぞれの位置からも。

だからこそ、この音楽を描くためのツールutena drawingが ツールらしく、ことば、道具らしく、「使え」はじめてきていること。
ことばやツールは他者と共有できてこそ、それらしく振る舞えるもの。

だから、そういう段階に入ってきたのかな、と。

一つの集約点、と言える回になったなと思います。
みることときくことは根っこで同じこと、
音から音の間にある音楽にふれるにはそのみることときくことの根っこから掘り下げること、それを見失わないでやってこられたのは良かったなと思います。

*写真は昨日の個人レッスンのときのもの。それからビルの屋上に見つけた合歓の木

次の段階への準備

講座は基本を大切にさかのぼりながら、まとめの段階になってきたように思います。実際には、HPをもう一度ことばを並べ替えてリフォームして行きたいと思います。やることは山積みだけれども、光が見えてきたことで、うんと頑張れそうな気がしてきます。HP,もっと伝わりやすくできるはず。できたらご報告しますね。
支えて頂いてるみなさんには本当に感謝。明日からまた、地味な取り組みを。

このutena music fieldの講座は、音楽に行き詰まりを感じている人にも、何某か良いヒントを与えてくれるはずです。ぜひ、体験にいらしてください。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!