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あおい水底のメロディ

あのとき、

たしかに
深いブルーの水底まで手が届いて、
音を拾ってこられたような、
そんな、めったに味わえない演奏に
集中できたのに、

旅の後、日常の喧騒のなか
いつもの耳に、いつものピアノの手触りにもどっていく。
あの時の集中に戻ろうと、少し焦るけれども、
いや、こういうものなんだな。
時間ができるまで、焦るのはやめよう。



チェリストのカザルスが
本番直前に洞穴をみつけて、ピアニストと一緒に探検して
泥だらけでやってきた話が大好き。

音楽家にとって、
(どうかピアノ教室の先生も立派に音楽家だと胸を張ってね)
あんな、自然に同化できる時間をとること
そのなかで、もう一度感覚を取り戻すことは
やっぱりとても大事なことで、
それが質につながっていく。

そこで編み込まれていく質が
音楽家だから編み込む音楽のやりとりの中に
浸透していく。人の営みに波の音や深い青が浸透していく。

それは、テクニックの練習と同じように
楽曲理解と同じように
utena drawingと同じように
必要なことなんじゃないか、と、あらためて思った。

使い古した草籠に、
一人分 煮炊きができる道具を詰め込んでみた。

ソロストーブの他、奥底に少し欠けたコーヒーカップ。
小さなフライパン。
30年何にも使わなかった茶筒。ありあわせ。

またいつ、その時がくるかわからないけれど、
いつでも、その時間をつくれるようにしておきたい。


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!