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よしずばりの音楽室

音楽室の東側の窓に背の高いよしずを立て掛けたら、
ちょっと、あなぐらみたいに薄暗くなりましたが
私的には、いい感じです。

最近の音楽室では、生徒さんのレッスン時間の他に、
サークル向けの動画を上げたり、zoomをやったり、という時間が増えました。
常に人と接していて、新鮮でアクティブで刺激的です。

去年辺りから、もう恥は捨てましたので、動画を取ることに抵抗はなくなっています。なので、その延長でzoomも気楽にやっております。もう、風呂上がりにタオル肩にかけたまま・・・・とはいえ、内容がきちんと伝わらないことには、です。そこの幹のところは、自分でテーマを精査したり、説明的になりすぎないよいうにして、参加者さんの方の感覚とつながっていくプロセスをイメージしながら構築していくので、難し、楽しです。なにより、参加者さんの「楽しい!」という反応が嬉しいです。

ただ、ここ最近、活字を打つのがすごく億劫におもえたり、言葉を紡ぐことがとてもむずかしい気がしたり、いや、さらには活字を追うこともできなくなってきているので、これは、動画に毒されてきているのか、加齢に侵されているのか、スマホ依存のいずれか、なのかしら、きっとその全部な気がします。

気分転換になるし、と勇んで出かける実家の野山まわりなのですが、むしろ完全に山の子にもどってしまうので、反対方向に振り切れて、よく寝る子になって、本など一向に進まないし、自分の言葉もなんもでてきやしません。そして年相応にどてっと疲れます。これは気分転換というか、体力と気力の浪費にしかなっていないような・・・

今週は、母のワクチン接種や、会計や、9月の音楽教室の発表会の準備などに当てるために、5日ほどまとめて休むことにしました。明日はまた実家です、今日はなにもない休日。

人が集うこの音楽室も好きだけれど、

誰もいないこの音楽室も好きです。

よしずの向こうは遠い世界。

で、こうやって、活字を打ち始めると、ゆっくり自分がみえてくるような感じがします。沸き立つようなこの頃の暮らしの落ち着かなさが濾過されて、しんとなって、”ここ”に居る自分の存在がリアルになる。そういえば、このごろ落ち着いたピアノの時間もとれていなかったのかも。それさえ気がついていない自分だったかも。

どんどん動いていこうとする自分と、うんと可動性のわるい自分がいて、ばらばらにならないように、そう、ここにひとつに小さな結び目の時間。自分を取り戻す時間だったな。必要だったな。

ゼロに戻りながら、また、次へ進もう。

ちゃんと、頭と、心をつかって、生み出すことを畏れないでいこう。



愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!