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ひきだし

うちのレッスンやワークは基本、子どもでも大人でも同じで、
まずは自分の引き出しから音楽を探そうとすること、
そして、もしかしたら、まだまだ空っぽの引き出しに気がつくこと、
それを満たしたいという衝動に応えていくこと、
なんかもしれんなあと、思いました。

もしかしたら、そのきひだしすら、まだ形になっていなくて。
自分の中のあちこちを探しはじめる。そうしたらしめたもの。

結構ここまでが大変で
人は、人の器からついでもらったものをつかいまわしていることに
気がついてさえいないことも多くあります。

そういう器となることが「先生」の旨みであったりもしますが、
そこに誰もいなくて、
自分でつくるしかないことに、気がついてもらう。

それは、大人でも子どもでもおなじだし、
発達障害が多少あってもおなじだし、言語コミュニケーションが取れない自閉症の子でも、同じ。学習プロセスは同じだとつくづく思います。

時に私の器からすこし注ぎながら、でも、
時に私の器から何一つ注がないように気をつけながら。

だから、幼児さんとの遊びの中で、生徒も歌うように促すし、
ピアノを弾いたこともな人に「弾いてみて」と声をかける。
歌えない、というひとに「歌って」という。
そうしてもいいかな、と思えるタイミングを見つけながら。

音楽室に来るなり、なにか適当に弾き始める子も割といます。
私は良い聞きてに回るだけ。何を弾くかではなくて、今自分の中から探そうとしている、ということが大事。

すこし自分の中から染み出してきたものをかんじたとき、
引き出しがすこし、生まれてくる。

そういうことが少しづつ上手になってきてるかもしれない。
昔は、自分のありったけのものを注いであげることがいいことだと思っていて、
それぞれの自立を妨げていたことに気が付かないでいました。

そして、ひとりひとりにちゃんと、引き出しはあるから、
それを呼び出す勇気を持って欲しいなと思えるようになってきたかなと思います。

*写真は昔の生徒が残していった猫の絵。



愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!