10/3人生に食い込んでいく音楽
なんだか盛りだくさんの一日でした。
今日はいったい何の日だという感じで胸がいっぱい。
中学生が弾き語りマスターしつつあって嬉しい話
よくぞお母さん、通わせ続けていただいた、と感謝にたえません。
指先が器用ではないし、本人もいっぺんにいろんな事ができないのはよくわかっていて、それで小さい頃はよく落ち込んでいました、いつも私に敬語の彼。
メロディを弾くのは苦手なので、コードに結構食いついてきてくれて、右手コード、左手ベースライン、というスタイルでレッスン。
これも不器用ながらなんとか流れ始めたので、ちょっと試しにピアノペダルやってみるか、ということになり、ペダルを踏んで演奏してもらったら、これが。
今までの右やって、左手やって、リズムやってコードも覚えて、しかも歌うなんてのは、ちょっと酷、という感じだった彼の演奏が、魔法がかかったように、なめらかになって、二人でびっくりしたのは2週間ほど前の話。
それからの彼の演奏はガラッと、柔らかに変わってしまったのでした。
ペダルを踏むということは、やらなければいけないことが一つ追加されたのではなくて、バラバラにやっていたことが一つに溶け合ったんだと思います。わからんけど。あまりの変化にほんとにここまでやってきたよかったと嬉しくてたまらん感じになりました。
なんで、これができるようになったか、それはやっぱり、演奏の出来よりも、ききかた、を大事にしてきたからだとおもいます。
小さい頃からやってきたスケールとカデンツの積み重ねや、分離唱(スリーコードの真ん中の音をうたう、という、佐々木基之が推奨した「耳をひろげる」練習法)によって、理論的裏打ちや、内的な音楽空間が整理されていること。
「音楽を描く」事によって、全体の流れを掴んだりテンポの変化を掴んだりして柔軟性が育っていたこと。
なにより、彼自身の真面目な性格。
そして、どんなに「音楽に不向き」と見えても、教室に毎週送り届けていただき、続けさせて頂いたご両親。ほんとに感謝。
「音楽を本当に好きになるのは中学校に入ってからだから。」
と言った私のことばが嘘にならなかった彼に感謝。今日の弾き語り、泣けた。
幼稚園児が途中でお母さん恋しい病になったけど大丈夫だった
楽しくってたまらん感じでレッスンに来てた女の子は、鈴を足につけて
「ぬきあしさしあししのびあし」
といいながら、こっそり歩くだけのワークのとき、その静かさに急にお母さんを思い出したらしくて、べそかきそうになりましたが、長野のお土産の飴を渡したら、すぐご機嫌になりました。かわいすぎ。
付箋大好き女の子の対応がうまくいった話
付箋というのは、教室では宿題のところ貼るものですが、その子は自分がいっぺん弾いたらもらえる、というルールに勝手に変えて、次から次から貼り付けておりました。
おほえほん(教室のチョコレートサイズのテキスト)に貼りまくっていて、弾けた気になってて、どうしたもんかと思っていたのですが、ほんとに出来たら、シールに交換してあげよね、ということで話がまとまりました。
そして今度はしっかりド/レ/ミを認識しながら弾いてくれました。
どのシールを貼ってあげてもとっても喜ぶいい子。写真の譜面台にたくさん貼ってある付箋はそのときお返し頂いたもので、彼女がきれいに色分けして貼ったもんだから楽しすぎてそのままにしてあります。
庭仕事を手伝ってもらった話
そう、午前中は庭仕事のお手伝いに受講者さんに来てもらいました。
完全戦闘服にアイテムも完全装備、
白馬(軽トラ)にまたがり、引き抜いた雑草もろとも鮮やかに取り払って、立ち去って行ったのでした。ありがたすぎ。
歌を歌ってくれた話
そして、最後のレッスン生。
ある場所で、ここで習った歌を歌ったという話をしてくれて、アカペラで歌ってもらいました。それは、大事過ぎてここには書けない、いろいろあって、でも最後にはニコニコの笑顔で思わずハグ。大好きよ、あなたが。
人生に食い込んでく、歌が。
この仕事、丁寧にすればするほどに、還ってくるものも、ささやかだとしても味わい深い。
そして、実はすごい大きスケールの出来事が時間単位でおこってきたりする。
人生に食い込んでく、音楽が、うたが。
それを目の当たりにできる自分は幸せだと思います。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!