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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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#私の仕事

6月半ばの音楽室・「きれい」という君が。

写真は、音楽室前に 秘密基地的な窪みのある場所をつくって そこに椅子とテーブルを置いたんだけれども、ちっともゆっくり座る時間がない。 ・・・・・・・・ 音楽室の出来事 指より体の方が三倍も動いてピアノ弾いてる 男の子が、 即興、、というより適当弾きをしていて、 何かのはずみで 右と左で6度音程の進行がなったとき、 その子 目が輝いて 「今の、きれいなかったことない? きれいやった〜。いいおとやった〜」 いや、むしろ、 それに感動してる君をみてる私の幸せ。 子どもが

一つの実をむすんだこれからの”音楽室”構想

うちの音楽室の目的と問いうちの音楽教室が、この教室の場を、「教える」の「教」の字を取り払って音楽室と呼ぶようになった理由は2つありました。 ・私自身が無理なく自然体で人と接したい。無理のない”仕事”を模索するため ・日本の「教える・教えられる」ということからイメージするものの呪縛を取り払ったところでの新しい関係性のなかで音楽を育みたい 私が音楽を仕事にしている最大の理由は”音楽が生まれる場所に立ち会いたい”からです。そこには「音楽とはなにか」「人と音楽の関係はどうなって

音楽を描く(utena drawing )をオンラインでやってみようかと思います。

noteオンラインサークルの予告音楽を描く(ウテナドローイング)を ノートのオンラインサークルを使って、 たくさんの人に体験していただこうと考えています。 方法としてはこんな感じです。 utena drawing がどんなものかと言う事の共有が必要なので、理論の記事を少しずつ書いていこうと思っています。これは誰にでも見れる有料記事にしておくつもりです。 そして、 オンラインサークルでは月に 1つのペースで、動画を使ってお題を出そうと思っています。 その お題にそれぞ

10月2週めの音楽室

仕事まえに、しばしお昼寝。ここで寝るか?というところで寝ます。 コーヒー飲んで気合い入れて、先週のワークノート眺めるのが始める前の日課。 ミュージックリテラシーワークブックを使ってのピアノの前の感覚のウォーミングアップは、結構生徒たちも楽しんでやってるようで良かったです。 なんと、ネウマ譜もどき。演奏してもらったら、全くネウマ譜と同じでした。ネウマ譜というのは、今の楽譜ができるまでの楽譜のこと。やっぱりこの人は中世ヨーロッパの自由七科の出でしたか、と思う、小学3年生の男の

3月半ばまでのutena.m.f

生徒が戻ってきました2週間おやすみして、猫しか来ないピアノ室でしたが、 ぼちぼち子どもたちも戻ってきました。 お絵かきばかりしてるわけじゃなくて、ピアノも弾くのですが・・・でもなにかとスケッチブックをだしたがる、低学年。 いい感じにゆるい生徒たちの様子をみてると、いつもこのくらいだと楽しくできるのに、私のほうも、ついいろいろ急かしてしまってきてたのかなあ、なんて思いながら。 実家にも行って来ました。 霧と霜の降りた朝の風景。 星岡クラスの日3/18そして今日は星岡ワーク

うてな・場所

「講師」「おけいこ」「教室」が音楽を狭めてしまう絵描きさんなんかは、みんなアーティストなのに、音大出たひとは「ピアノ講師」なんだか、それはとても残念な気がするのです。 そして、「教室」「おけいこ」 なにかもう、芸術からどんどん遠ざかっていくのは必然な気がします。 そもそもずーっとピアノ教師とか音楽講師、という肩書きもどうにも私にはかたくるっしくって、なんか、センスもないし、好きじゃなかった。 でも、たしかに、「知識」とか「技術」とかも”教え”なければ音楽を共有できない

再生

音と音のあいだにあるもの(音楽を描く講座)

少し講座やレッスンの動画も混ざってます。次の東京講座は2/23です。

音楽はもともと誰かの体験だった(音楽の学び方の方向をかえるすすめ)

音楽はもともと誰かの体験だった音楽っていろいろあります。 音楽って何か、と問い始めるときりがないけれど、 一つはっきりしているのは、 その曲や演奏、たとえば私、私の心を動かしてくれるその歌は 私のところに届くまでに、とっても多様な人の”体験”があったはず、ということ。 そして、 その歌を伝える人の それからきく私の 音を編む所作と、 音を選ぶ所作と、 その手を伸ばす先にある音楽というフィールド。 音楽、というフィールド その歌のその根は、長い時間を経てできた「音楽」という

’音楽を描く’受講の感想と、東京講座10/13

文章を書くたびに一体どのくらい「音楽」という活字を打ってるんか、と思うと、最近ちょっと食傷気味です。 musicは時間の中で動いていてこそのもの。 ああ、musicってかいちゃおうかな。 なんだか、そのほうが自分的にしっくりきてしまった感じ、今。 こうも音楽、音楽と書いてると、「音楽」というのが、なんか、どんどん枯渇してきそうで、だんだん飽きてきて、パソコン閉じて、ピアノで好き勝手弾きはじめてしまいます。やっぱりなまもののほうが好き。 ーーーーーーーーーーーー 先週はじ

10/01大切な友だちたちへ

耕す (音楽を描く’日々の記録)

最後のレッスン4・5年、月に一度のペースの個人レッスンとグループワークを続けてこられた受講者さん。これまでのことを振り返ってこんなふうに伝えてくださいました。 「谷中さんのワークで、私の音楽の土壌を耕してもらってきた。感謝感謝です。」 そういえば、最初の頃は、レッスン中にわたしが 「歌ってみて」 というと硬くなり「いやだ。」 と言ってたねって。 そうかー、そういえばそんなときもあったな。 私も拒絶が痛いなと思ったことも正直ありました。 でも、もうそれは経過する前の話。