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耕す (音楽を描く’日々の記録)

最後のレッスン

4・5年、月に一度のペースの個人レッスンとグループワークを続けてこられた受講者さん。これまでのことを振り返ってこんなふうに伝えてくださいました。

「谷中さんのワークで、私の音楽の土壌を耕してもらってきた。感謝感謝です。」

そういえば、最初の頃は、レッスン中にわたしが
「歌ってみて」
というと硬くなり「いやだ。」
と言ってたねって。
そうかー、そういえばそんなときもあったな。
私も拒絶が痛いなと思ったことも正直ありました。

でも、もうそれは経過する前の話。
今は、自分の好きな曲を好きなときに笛で演奏したり、歌ったりして楽しんでおられます。

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そして、彼女が、これで個人レッスンを最後にする、と言われたときに、私の方でも、予感がありました。

今の心情を丁寧にお話ししていただいたのを要約すると、
「今まで違和感があったり、閉じたりしていたものが耕されて、変わってきた。そして、音楽とも仲良くなれた。人前で歌を披露するには至らないけれども、好きな曲を歌ってほんとに楽しくなってきてる。で、これから人前で歌ったりするようになるまでには、谷中さんの今伝えてくれてるようなことをやっていけばいい、というのもわかる。それをしたい思いもある。けど、今がいい。」と、多分。間違って解釈しているところもあるかもしれないですけど・・

そして
私はこの話をきいて、とても嬉しかったです。

彼女は、自分の音楽を自分で自分の好きなだけ触れることができるようになって、そして、いつまでも依存しあってのお付き合いではなく、自分の懐に自分の音楽を取り戻すができたわけです。私が握りしめるのではなく、手渡せたということ。

彼女は実は一番はじめにドローイングを見て、やってみたい、と言い始めた人。

だから、このワークを育ててくれた人でもあります。

私は、未完成なこのワークですが、一つの輪が閉じて形をなした、そんな気がしました。

芸術療法における ピリオドの意味

それで、一つ思い出したことがあります。

絵画療法のセッションで、なにか作品をクライエントが創作したときそれを無造作に扱ったりしてはだめで

一回り大きな画用紙で額をつくる

とか

どこかふさわしい場所を探して、飾る

とか

題名をつける

とか、

できたものについて対話する

とか

なにか、フィードバックして、閉じる(完結する)ことが大事なのだということ。

芸術療法においては、終わりを迎える、ということがとても意味のあること、なのです。

それと同じだとおもいました。
そして今回のレッスンがそういう仕上げのレッスンになりました。

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音楽の中で自由に泳げる、楽しさ。

そして、お互い口にはしないけれども、なんとも言えない充実感を持ちながらの最後のレッスン。

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軽やかさ。

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そして最後に、ご自分で選んだ曲をご自分で紐解いて練習して、プレゼントしていただいたのは、一生覚えておこうとおもいました。本当にその人がそこにいる演奏で、何を感じているかがちゃんと音として伝わってきました。
感謝しなければならないのは私のほう。よくここまで、あなたのなかでこのワークを育ててくださいました。それは、あなたのものであると同時にこのワークのみのりでもある。

これからも見守ってく、お手伝いするからね(猫の世話とか・・笑)ということばも嬉しかったです。

・・とはいえ、グループワークでまた会えるのですけど。

というのが、一昨日のこと。

今日は長野に来ています。
ここで、utena.m.fを育ててくれている人たちが集って、再会することができました。

私は褒められるとほんとに恥ずかしくなります。そういうの苦手です。

でも、いやいや、私じゃなくて、このワークが生きた脈をつれてきてくれるから。

私は幸せものだ、と思わずつぶやいてしまいます。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!