これまで進学から就職まで、 流されるままに進んできた 高校受験の時はまわりに勧められて何も考えず受験したし (しかも落ちて滑り止めで受けていた私立に行った) 大学受験は、音楽の専門にいきたいと言ったわたしに とりあえず大学は行った方がいいと担任が言ったので 3年後半から勉強しはじめてその担任におすすめされた大学に行った。 (補欠合格だったけど滑り込んだ) 部活やサークルも流され続けた。 小学生の時からバレーボールをやっていたのだが 别にそんなに好きではなくて それなの
芝居がしたい… 役と向き合って、苦しんで、背負いきれなくて逃げたくなるくらい本気で向き合える芝居がしたい 時間がかかっても、そういうお芝居がしたいです。いや、、しますすす(意思表示)
並んで歩いていたはずなのに、 溺れてるうちに知らぬ間に先を歩いている人の背中を見るのは切ない 手を伸ばしてしまったり その道を一緒に歩きたいと思ったその時から崩れていくのがわかる 自分の道を歩いて 出会えたときにまた始まるのだろうな そういうものだろうな
人のために…と生きてきた。 誰かが喜んでくれる姿を見られることが嬉しかった。 それがいつの間にか「自分を犠牲にする」ことにすり替わっていった 人のイライラや不満や不快が、 小さな機微が、わかってしまう。 誰かが不満なことや、誰かが我慢していることがわかってしまう。 そうすると、自分がやる、と申し出てしまう。 それが、人に貢献することだとおもっていたし、 喜んでもらえるものだと思ってやってきた。 でも、それをやることが当たり前になったり、 なんの反応もないと悲しい気持
自分が尊敬出来て 本気で関わりたいと思う人は 人の狂気的な雰囲気に惹かれる方が多く 自分にはそれがないとわかっているからたまに悲しくなる。 小さい頃から身についてしまった 人の想いに応えようとする「いい子ちゃん性質」は 自分が欲しいものが一番手に入らない呪いの性質だなと思う時がある。 ほんとはそんなにいい子なんかではないのに、 反射的にいわゆる「良い子」の型に自分をはめてしまって、後から、「あ、またやっている…」と、気づく。 お芝居は特にそうだと思うが、 表現をする
家族の記事を書いた。 2人の姉のことについても書いた。 割と自慢の姉であると書いたけれど、 ここにたどりつくまでのわたしは本当に酷かった。 長女は、脳性麻痺という障害を持っていて、重度の身障者と判断される。 出産時の事故が原因で、産まれたての時、生きられる可能性は0.1%と言われたらしい。 これ、のちのちも母に散々聞かされて途中でうんざりしていたけれど、、、 そんな中見事生き抜いたが、お土産(?)に「脳性麻痺」という障害をもらってしまった…という姉なのである。 脳性麻
私には姉が2人いる。 長女は、7歳年上で脳性麻痺という障害を生まれつき持つ、いわゆる障害者。 でも、小さい頃は歩行器や補助ぐつを使って歩く努力を必死でしていた。 出来るだけ周りの人に手をかけないよう配慮する人。 自分の体重が重くなると介助する人に迷惑がかかるからと、徹底的に食事で体重コントロール、 つかまれる場所があれば短時間なら自力で立っていることができるよう、筋トレ的なこともしていた。 他にも、口にペンくわえて絵を描いたり、地域で初めて普通学級で勉強したり、死ぬほど
何をどう書いていいのか、わからない。 けれど、何かを書きたくなったので、始めてみようと思った。 基本的には自分のことと、わたしの好きな人たちを語るひとりごとページというテーマで、何の中身もない。 普段、人の目や誰かの想いを大事にしすぎて崩壊しかけている自分自身を、嘘偽りなく書いていく時間にしたい のだけど 実際誰が見るかわからないものを正直に書くのは怖すぎて たまには強がってしまうかも知れない。。。 と、今のうちに、自分に言い訳をしておこう。 「自分を甘やかすページ