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ジレンマ

自分が尊敬出来て
本気で関わりたいと思う人は

人の狂気的な雰囲気に惹かれる方が多く
自分にはそれがないとわかっているからたまに悲しくなる。

小さい頃から身についてしまった
人の想いに応えようとする「いい子ちゃん性質」は

自分が欲しいものが一番手に入らない呪いの性質だなと思う時がある。

ほんとはそんなにいい子なんかではないのに、
反射的にいわゆる「良い子」の型に自分をはめてしまって、後から、「あ、またやっている…」と、気づく。

お芝居は特にそうだと思うが、
表現をする上で
社会性が邪魔をすることは良くある。

社会性なんて表現する上では少しもいらないって思っているのだが、

わたしが今までを生きていくにはそれは必須の性質で、
それを身につける以外に生き方がわからなかった。

そしていまは、捨て方もなかなかわからない。

むしろどれが「社会性」かもわかっていない。。。

捨てれるもんなら捨てたいと思ったこともあったが、
でももはやこれもわたしの一部だ。

でもだから、「社会性」が邪魔をして
この世界で本気で仲良くなりたい人と
なかなか深く関われないというジレンマを感じることが結構ある。。

わたしが興味を持つ人は、
わたしに興味を持ってくれない(悲しすぎやしないか)

作り上げた「社会性のある自分」と仲良くしてくれる人はたくさんいるのだけれど(これはこれで、心の底からありがとう)

奥の方にいるわたし自身と
しっかり手を繋いでくれる人を、どこかでずっと探しているような気がする。

そんな人に出会うには、
やっぱり社会性をぶっ飛ばさなくてはいけないのだろうか。

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