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わたしと家族

私には姉が2人いる。

長女は、7歳年上で脳性麻痺という障害を生まれつき持つ、いわゆる障害者。

でも、小さい頃は歩行器や補助ぐつを使って歩く努力を必死でしていた。
出来るだけ周りの人に手をかけないよう配慮する人。
自分の体重が重くなると介助する人に迷惑がかかるからと、徹底的に食事で体重コントロール、
つかまれる場所があれば短時間なら自力で立っていることができるよう、筋トレ的なこともしていた。

他にも、口にペンくわえて絵を描いたり、地域で初めて普通学級で勉強したり、死ぬほど勉強して高校受験して高校いったり、大学受験も(結局いけなかったけど)チャレンジしたり、スキューバしたり電動車椅子でハーフマラソンしたり体力作りで1キロ泳いだり。。。

なんか知らんが超スーパー姉ちゃん。

3つ上のもうひとりの姉は、
心配性でコツコツタイプ、が故に成績優秀容姿もそこそこ、変てこな自由さも併せ持ち、今は会社で「人事」の仕事をしている、割と自慢の姉ちゃん。
(ちなみに実は、わたしも会社では人事の仕事している。やはり似ているのか…)

二児の母。(次女の紹介短っ)

…私は、姉には恵まれていると思う。
といっても、高校卒業するまでは家族とはほとんど触れあわなかったし超絶反抗していたから姉2人には散々酷いことも言ってきた。

それでも、私が大学生になってからは姉達に対してのイライラは一切消えたな、おもえば。
…なんでだっけかな?

まあいいか。
とにかくこの2人の姉からは、人生の中での大切なことを吸収してきたと思う。
当時は気が付かなかったこともたくさんあるけれど、
この2人の姿から学んだことが多分私の中にはたくさん流れている。


ちなみに三姉妹を育てた父と母はお見合いで出会ったらしい。
父は関東人、母は関西人。
どちらも理系で、父は定年まで大学の薬学部で先生をしていた。

父は正直、ユーモアが足りない。冗談が面白くない。会話が下手くそ。思い込みと決めつけが激しい。自由人で自然や山登りが大好き、引退してからは、地域のボランティアと絵を描くこととたまの山登りを満喫中。
性格的には、不器用なタイプと言ったら聞こえはいいが、結果的に自己中な人だと思う。

小さい頃、自由研究のテーマを提供してくれるとこまではいいんだが、
結局自分が興味持っちゃって子供より没頭し始めて子供置いてけぼり、とか多々あった。

それと、元々声がでかいのに、カッとなるとすぐ怒鳴るからそういうところが結構嫌い。
あとカッとなるポイントが謎すぎてあんまり関わりたくない。今でもそう。

わたしの1番古い記憶は、トイレかなんかを流さなくって怒られて、父に平手打ちされたという記憶。
今考えても、わたし可愛そう。。。

でもこの人のおかげで私は何不自由なくここまで生活できているので、感謝、して、いる。いや、流石にそれは本当に、感謝して、いる。。。(しぶしぶ)


母はかつて薬剤師だったが、長女が産まれたことで専業主婦になり現在も主婦業邁進中。

私たちが小さい頃は、帰りの遅い父の分と子供たちの分と、2種類のおかずを作っていた。

しかも子供たちがご飯を終えていても、父が帰ってくると再び台所に立ち出来立てのあたたかいご飯を提供する。
日本の昔ながらの行事の時は、関連したご飯を毎年作るマメな人で、それを子育てしながらやってたんだからすごいと思う。

ただ、さっぱりした気持ちのいい女!を気取っているけど実はめちゃくちゃ湿気だらけの湿地帯女な内面なので正直面倒くさい。
彼女はそのことに、自分でも多分気づいてない。

しかしこの人の背中は、私に多大なる影響を与えている。色んな面で。

金銭的な意味では父がいなければ成り立たないが、
家庭的な面では母なくして成り立たない。
少し昔の家族スタイルで割と普通なのかもしれないけれど。
父が古い考え方の家系の人なので余計かも知れないが、母はTHE・内助の功って感じ。
その上、長女の介助やら、下2人も含めた子育てやら、私の反抗期やらなんやらかんやらを経つつ、長年主婦続けているんだからマジですごい。


…そんな中での私。

小さい頃は、正義感と暴力性を兼ね備えた保育園児だったように記憶している。

どうやったらそんな真反対の要素が共存するのかって思うが本当にそんな感じ。
友達思いだったかは正直わからないが、
曲がったことをしている奴を見ると腹が立って弱い子を守る方にまわる。

一見、「いい奴」風だが、
「曲がったことをする人」への対抗手段はもっぱら「暴力」

納得いかないと、相手が女の子であろうが男の子であろうが叩きのめすストロングスタイル。

他の子より少し成長が早かったからか、力は強い方だったので男の子にも対抗できた。
多分、一部の男子からは相当恐れられていたのではなかろうかと思う。

でも1番覚えているのは、
保育園の誕生日会で同じ生まれ月のハーフの女の子と喧嘩になり、
「ブス」かなんか言われて、お前のは親のおかげだろ!?
って思って(確か)腹立って髪の毛引っ張り合いの喧嘩になり、お互い禿げるんじゃないかっていうくらい離さず、2人して反省部屋行きになったことがあった。

…こういう要素を持ったまま色んな時期を経て、
私はどんどんこの時とは違う自分になっていくのだが…
まあそれはまた機会があったら。

それにしても、ここまで書いてるだけで父と母の要素しっかりもらっていることがわかってなんか嫌だ。。。

とりあえず小さい頃は割と、活発で真っ直ぐな子だったと思う(無理やりのまとめ)

その他の性質としては、集中するとものすごいスピードで習得していくタイプ。

文字の読み書きは、友達の影響で興味を持ってから1週間で4〜5歳児にして小学校1年生レベルに到達した。

運動も、逆上がりは5歳の時同い年の中では1番最初に出来るようになった。

ただ、興味がないことにはとことん興味がない。
そういう子だった。(どういう子)

保育園の先生からは、
あなたの目はとても輝いている。
いつまでも、そのキラキラの目でいてほしい
と言われたのをすごくよく覚えている。

…実際どうだろう。。。
大人になるにつれて、さまざまなことに打ちのめされ、傷つき、人間の汚さや愚かさにぶち当たり、
その目はくもってにごってしまっているのかも知れないな、、、

先生ごめんよ、キラキラし続けることはできなかったかも知れない。

でも、色んなことを知って傷ついてきたから、

一度濁って汚れた瞳を、今拭き直しているところだから、

元に戻ることはなくても、綺麗な色に磨かれるように
まだまだこれから頑張る気でいるよ。


と、突然の先生への手紙。謎。


でもいいのだ。
私はここで、思いついたことを書くのだ。

まとまりなど気にせず、ただ書くのだ。


ということで、「わたしと家族」おわり。

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