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ピクルスはいらないよ

「先輩の初めてのデートってどうだったんですか?」

肩までのふわっふわの明るい茶髪を揺らして笑う。眼鏡の奥の黒い瞳が好奇心いっぱいに光っていた。

「私の?初めての?」

そうでーっすとイタズラを企むような顔する後輩に、呆れてため息をついた。5階建てのマンションの一室、日当たりの良い角部屋に住めたことは幸運だった。2階だけど上の階に住む人も下の階に住む人も、隣の人も穏やかな性格だ。小さな子どもを抱えた私たち家族を、あたたかく見守ってくれている。私より3歳ほど年下の後輩はまだ大学生だ。大学を卒業してすぐに結婚した私に何かと声をかけてくれる。

「みんなで盛り上がったんですよ。最初のデートはどうだったのかって」

「ちなみにそっちは?どうだったの?」

好奇心いっぱいに輝いていた瞳がさっと陰る。

「言いたくありません」

顔を伏せてぼそっと呟く後輩にくすりと笑う。

「なら、私も言うのやーめよ」

「ええ?良いじゃないですか!」

自分の話はしたくないが人の話は聞きたいらしい。私はくすくすと笑って、どうだったかなと思いを巡らせた。最初のデート、最初のデート。天井を見上げて考えてから、ふと浮かんだ情景に顔をしかめる。

「ピクルス」

「ピクルス?」

「ハンバーガーって、ピクルス入ってるじゃない?」

「入っていないお店もありますけど、まあ、入っていますね」

「ハンバーガーショップで、ピクルスがいるかいらないかで喧嘩した」

「何それ。先輩カワイイですね」

ぷぷっと口を手で押さえて笑う後輩を軽く睨みつける。ピクルスがある意味がわからないって言って残したら、ピクルスがないハンバーガーはハンバーガーじゃないと言い始めたのだ。それからは、いる、いらない。いる、いらないの大論争。その内この世にあるものは何であろうと、存在するということに意味があるとか。原発がどうとか、ゴキブリはどうとかわけのわからない話に発展した。気づいたら2時間も経っていて、店内にいるのが恥ずかしくなった私たちは、急いでお店を飛び出したのだ。

「私が残したピクルスをね、食べたの」

「よっぽどピクルス好きだったんですね」

「それからも、ピクルスがあるたびに私の分も食べてくれた」

「へえ」

「ちなみに私は、梅干しを代わりに食べる」

私はピクルス、相手は梅干し。苦手な物がある時は相手のために食べるようになった。

「ピクルスより、梅干しの方がよっぽど価値があるじゃんね?」

「私はピクルスも梅干しも両方好きですよ」

好き嫌いないんですと手を腰に当てて、胸を張る後輩が壁にかかっている時計に目をとめた。慌てたように立ち上がる。

「すみません。この後、集まりがあるんです」

「うん。またね」

慌ただしく家から出ていく後輩を見送って、お昼寝中の娘の様子を見に行く。後輩が来て一緒におやつを食べた後すぐに寝てしまったのだ。ベビーベッドの中ですやすや寝ている娘の指にそっと手を触れる。

「ピクルスも梅干しも、嫌いになったらどうしよう」

それとも両方食べられるようになるかな。

初めてのデートはハンバーガーショップ。初めての喧嘩はピクルス。どんどん仲良くなった恋人は今の私の夫だ。夕食の下ごしらえをするかと、両手を組んでうんと伸びをした。

おわり


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