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コチ 2−1

 空に太陽がいた。
 コチはいつもの寝床にいた。

 コチの寝床は、老木だ。
 誰もいなくなった民家の脇にひっそりと立つこの老木は、もう長い間ここにいる。
 近隣に、新しい住宅地が建ち並ぶ中、ここだけが、まるで時が止まっているかのようだった。
 老木は、隣に立つ古い民家の屋根を覗く。
 朽ちていく民家の屋根に、落とした葉が散らばり風に身を任せ飛んでいく。
 雨樋には風に選ばれなかった葉が幾重に重なり山となる。
 老木は積もる枯葉を数え、過ぎた年月を思い出し風に揺れる。
 青々とした木の葉が風に吹かれサラサラと音を出す。
 コチは、この老木の優しい声が好きだった。

 コチはこの寝床である老木を「ジイさん」と呼ぶ。
 ジイさんはいつもコチを優しく迎えた。

 出会った頃のジイさんは、枯れ木であった。
 太陽の視線から逃げるようにやってきたコチは、同じ色をした枯れ木のジイさんの体にしがみつき隠れた。
 ジイさんは何も言わない。
 目を伏せるように、ジイさんの体にうずくまるコチ。
 
 声がした。

 風かな?

 顔をあげるとジイさんの枝先から産まれたての小さな緑がキラリと陽光に反射した。
 その葉にコチは、ため息しかでなかった。
 「ここから出ていけ」
 と緑が睨んでいるような気がした。
 コチが何度目かの身支度を整えていると再び声がする。

 いらっしゃい。コチ。


 忌々しい太陽がいる間中、コチはこの寝床にいる。
 ずっとジイさんの葉が作る影の下に隠れ時間が過ぎるのを待っていた。  
 ジイさんはコチの話す言葉にそっと耳を傾け、風にのせて頷いた。

 いつものこの時間に何かが足りない。

 「なあ。ジイさん。今日、ホリデイは来ないのかな?」

 揺れる葉の隙間から光がチラチラとコチを覗いた。

 朝の汚れない光の中から、ホリデイの声が聞こえる。
 それは、いなくなってしまった朝の記憶。


 「おはよう。コチ。今日も太陽がこの世界に生まれたよ。」

 ホリデイが、ジイさんのいる庭にやって来たようだ。
 いつもホリデイは、コチがジイさんの寝床で「さあ、寝よう」というタイミングにやって来る。
 だから、いつもコチはそれに返事をしない。
 それは、もう寝ているというアピールだ。
 それでも、ホリデイは、庭から老木の枝で寝ているコチに向かって気にせず大声で話しかける。

 「コチ。公園にまた、シワ帽子が現れたぞ。しかも、自転車のカゴにお弁当まである。きっと遠出だよ。どこに行くんだろうな?急ごう。置いてかれちまうよ。」

 ホリデイは、ジイさんの庭をヒラヒラと飛び回っている。
 そう。ホリデイは蝶なんだ。

 コチの小さな羽とは違い、ホリデイの羽は大きい。
 ホリデイの透き通るような大きな羽は、朝の光を閉じ込めたように、羽を翻す度にキラキラと輝き、ヒラヒラと飛ぶ姿は、朝に輝きを与えているようでもあった。
 ホリデイは、ヒラヒラと、そこらに生える草花に止まり調子よく声をかける。
 草花は、どこか、嬉しそうに、朝の光に向かって大きなあくびして、1日の始まりを迎える。

 コチは、なかなかこっちにやって来ないホリデイにイライラしながら、眠い目をこする。
 本当に眠った所で、ホリデイに起こされるに決まっている。

 「おはよう。ジイさん。今日もいい風が吹いているよ。なんか素敵な便りがあるんじゃない?」

 この老木をジイさんと呼ぶのは、コチとホリデイだけだ。

 ホリデイがようやくコチの隣にやってきた。

 陽光に美しく煌めく大きな羽がコチの隣で惜しまれながらにゆっくりと閉じる。
 ホリデイと出会って、まだ間もない頃、コチはホリデイの美しい姿に恥じらい、傍にいるだけで小さいコチが、ミジンコのようにもっと小さく縮こまるようだった。
 でも、それもいつの間にかになくなった。
 気づいた時には、コチは、ホリデイに対して恥じらいを持たなくなっていた。
 しつこく毎日やってくるホリデイに馴れてしまった事もあるけれど、それよりも、もっと効果があったのはホリデイがコチと同じくらいに口が悪かったからだろう。

 「おーい。コチ。生きてるか?あれ、死んじまった?」

 もちろん。コチはその言葉を無視した。

 瞼の奥でホリデイの影がコチの顔を覗く。

 「地獄に行ってもマヌケ面だな。」

 ホリデイは吹き出して笑った。
 コチはなんとか寝たふりで堪えている。

 「おーい。コチ。いつまでその顔で俺を笑わせる気だ?起きろよ。」

 ホリデイの声は大きかった。

 「おーい。コチ?コーチー。」

 上空では「チュンチュン」と不気味に鳴く鳥の声が聞こえる。
 ホリデイの騒ぐ声に気づき、餌になるのはごめんだ。

 「しー。ホリデイ。静かにしろ。」

 コチの焦る顔を見てホリデイは、いたずらな笑みを浮かべた。

 「なんだ。起きてるじゃないか。」

 「うるせー。誰の顔がマヌケ面だよ。マヌケ面しているのはお前だろ?」

 いつもホリデイは、無邪気に笑う。

 「おはよう。コチ。」

 朝の光がそうさせるのか。ホリデイの汚れない笑い声がそうさせるのか。怒ることさえ、馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

 「ホリデイ。「おはよう」じゃない「おやすみ」だ。こっちは今から寝る所だ。何度言えば分かってくれるんだ?」 

 「おいおい。こんなご機嫌な日に眠るような奴がいるのか?その間抜けは一体どんな間抜け面をしている?」

 そう言うとホリデイはコチの顔を覗き込んで言った。

 「間抜け面見っけ。」

 ホリデイがまた笑う。

 「早く行こうぜ。コチ。日が暮れちゃうよ。」

 「分かってないな。俺はチカチカと鬱陶しい太陽とホリデイがいなくなるのをここで待っているんだよ。」

 いつものコチとホリデイの朝の始まりだった。いつからこんなやりとりが始まったのか。この2匹が初めて顔を合わせたのもジイさんの木の上だった。


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