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父の日

ああ今日は太陽が高く上がっているなあと思っていましたが、夏至でした。

夏至は真夏よりもずっと早く到来して、もっとこれから暑くなるんだよ、夏本番はこれからだよと語りかけてきます。
それなのに、これから日がどんどん短くなっていくということがとても不思議で、すごく寂しかった。汗かきで暑がりで癖毛の僕は夏より冬が好きですが、それでも夏の一日の魅力は他に代えがたいものです。不快なまとわりつく汗を振り払うように騒いではしゃいだ子供の頃を思い出します。


2020年の夏至の日は、父の日でもありました。

4年前に死んだ彼に語ることはもうありませんが、初めて父の日に物を送ったのは20歳でした。お小遣いを節約するために発泡酒ばかり飲んでいた父に大量のエビスビールと日本酒を贈りました。「おお」とだけ言って喜んでいたあの顔は、たぶん一生忘れない。

僕が薄い知識で選んだ日本酒を飲んで「水みたいだな」と呟いたあの顔も忘れない。水みたいってなんだ馬鹿にするな馬鹿舌め、ワンカップばかり飲んでいるからそうなるんだと心で罵りました。

とりあえず線香に火をつけ、普段なら絶対に買わない安い美味しくない日本酒を仏壇に供える。りんを鳴らして、手を合わせて正座して挨拶をする。どうせ僕が飲むんだから僕が好きなものを買わせてくれよと思いながら「これは水じゃねえな」と笑っている父を想像する。


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もうすっかり秋めいてきましたね。夏至は6月。今はもう10月です。

2020年の夏至に書いたメモが残っていて、それがあまりにも生々しかったというか、自分の感情がありありと乗った文章だったので、なんだか愉快で、不思議な気持ちになり、投稿しました。

もう4年も経ちましたが、ふとこんな文章が湧いてくるのであれば、まあ吹っ切れていないんでしょうか。身内の死というのは、こうも纏わりついてくるものなんだなと改めて実感させられました。

仲が良いわけでも、とりたてて尊敬していたわけでもありませんでしたが、ようやく私が成人して、社会人になって、ああ子供を育てるということは本当に大変なことなんだなあと感じ始めた矢先の出来事だったので、あと5年くらい生きててくれたらゆっくり話せただろうなあと漠然と考えることがあります。

無論、それを後悔するとか、生きているうちに仲良くしたほうがいいとか、そんな簡単な言葉で説明できるような気持ではありませんし、言い訳のしようもありません。ただ私と父はそういう関係であり、そういう関係のまま、尊敬するきっかけの端っこが見えてきたくらいで、二度と会話をすることが無くなってしまったと、それだけの話です。


父の日や誕生日、命日、年末年始といった節目節目で、どうだやってるかとばかりに記憶の中から顔を出してくる。忘れたいくらいなんだけどなこっちはと嘯きながら、仕方なしみたいな顔をしてお酒を注ぎ、仏壇に供えて、少しだけ思い出してやることにしています。礼儀なんて知らないので、手を合わせた後はあぐらをかいて、線香が燃え尽きるまで、ただ座って酒を飲んでいます。

仏壇の前に一人で座っていると、社会に馴染んだ私がこういう雑談とか相談をしたら、こういう返事が返ってくるんだろうなと想像することもありますが、つい美化してしまいがちで面白いです。最近の働き方改革とか、若者の考え方とか、副業とか、そういうことを全て一蹴するような、古い(?)思い込みの強い人間だったので、尊敬するきっかけ~とか言いましたけど、元気だったらそれはそれで全然仲良くはならなかっただろうな。

そういう喧嘩まがいの会話も満足にできなかったんだなとか考えると、ふと物足りなさを感じます。まあ居るなら居るで邪魔だなとか思ったのかもしれませんが。我儘な子供ですね。もう十分、大人になったつもりなんですが。

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