映画「ステップ」と愛、父子家庭であること
中学生の頃、初めて彼女ができた。身長が高くすらっとしていて、周囲と比べても大人びた子だった。目立つようなタイプではなくて、どちらかというと地味。中学生だったので気遣いとかはよくわからなかったけれど、面倒見が良くてそこに惹かれた。「マザコン」という揶揄を顔を真っ赤にしながら否定し続けていた当時の自分が懐かしいが、昔から、好きになる人はいわゆる「お母さんタイプ」の人が多かった。真っ先に仲良くなるのはどちらかというと子供っぽい人が多いけれど、付き合う相手となると年上だったり姉御肌な人だったりする。「男はみんなマザコン」というフレーズがいつだったかはやったけれど、結局みんな「母性」に惹かれるってことなのかな。
週末の4/3(金)に公開を迎える映画「ステップ」の試写会に参加した。結婚3年目、30歳という若さで妻を亡くした主人公が男手一つで娘を育て、共に成長する過程を描いた物語。重松清の同名の作品が原作となっている。
健一はカレンダーに“再出発”と書き込んだ。始まったのは、2歳半になる娘・美紀の子育てと仕事の両立の生活だ。結婚3年目、30歳という若さで妻を亡くした健一はトップセールスマンのプライドも捨て、時短勤務が許される部署へ異動。何もかも予定外の、うまくいかないことだらけの毎日に揉まれていた。そんな姿を見て、義理の父母が娘を引き取ろうかと提案してくれたが、男手一つで育てることを決める。妻と夢見た幸せな家庭を、きっと天国から見ていてくれる彼女と一緒に作っていきたいと心に誓い、前に進み始めるのだ。保育園から小学校卒業までの10年間。子供の成長に、妻と死別してからの時間を噛みしめる健一。そんな時、誰よりも健一と美紀を見守り続けてくれていた義父が倒れたと連絡を受ける。誰もが「こんなはずじゃなかったのに」と思って生きてきた。いろんな経験をして、いろんな人に出会って、少しずつ一歩一歩前へと踏み出してきた。健一は成長を振り返りながら、美紀とともに義父の元に向かう。そこには、妻が残してくれた「大切な絆」があった―――。
たまたま昨日耳にした、ヨルシカというバンドのラジオ番組の中で、真実の愛とは何だろうという話が出た。例えば「死ぬまで愛する」ことと「2日間だけ爆発的に愛する」ことは同じベクトルの愛と言っていいのか。つまりは愛を「総量」でみるか「爆発力」でみるかということだろうか。その意味で、健一が美紀に注ぐことのできる量は、もしかすると他の家庭とは違う。けれど健一の周りにはたくさんの人たちがいて、彼を愛し娘を愛してくれる。登場人物みんながみんな、少なくない問題を抱えながらもお互いを想い、支え続けている。結果的にたくさんの人の力を借りながら、人に対して注ぐ愛の絶対量はますます増加してゆく。
美紀は母親がいない悲しさや寂しさと一緒に大きくなった。片親の子供は両親のいる子供と比べて自立傾向が強いというデータを見たことがある。大好きな親が大変そうにしているのを見て、「甘えてはいられない」と意識するのだそうだ。ただし、そんな強い心の中にも必ず寂しさはあって、その寂しさは必ず乗り越えなければならないものではない。部屋の中央にぽっかりと穴が空いてしまったような、その空虚さを抱きながら生きていくんだ。そんなメッセージを感じ取ることができた。重松清の作品にはの人物はどこか暗く、けれどそれでいて人を想う優しい描写が多く、自分自身がどうあるべきかを思い出させてくれる。「大切な人を失う痛みを知った分だけ人は優しくなれる」というのは名言だけれど、痛みを知った自分と向き合うことができるのもまた自分自身だ。
「中学入ったらお父さんって呼ぶね。いつまでもパパじゃかっこ悪いし、パパとお母さんじゃバランス悪いでしょうが」最後の美紀の台詞に彼女の成長の軌跡が見える。父と娘の絆、そして義父と義息子の絆。コロナウイルスでどこか閉塞した空気の中に、暖かい風を吹き込んでくれるような映画だった。広末涼子が「お母さん」と初めて呼ばれ涙する場面は号泣だった。
ところで伊藤沙莉の役どころをみて素敵な女性だなと思った。実生活で出会ったら好きになると思う。ここで冒頭の母性の話に戻った。
そういえば、明日は雪になるようだ。雪うさぎを作ろう。
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