自閉症スペクトラム障害の障害特性が重いから、それに見合った無理がない生き方をするのが私には合っている

私は成人期に自閉症スペクトラム障害と診断されたのが今から10数年前だ。

グレーゾーンでなく、正式な診断だ。
それも、かなり傾向が高いとの事。

幼少期にも自閉症と診断された形跡がある。

ただ、1970~1980年代は、私みたいな知的障害がない人は幼少期に診断されたとしても大きくなるにつれて自然に消えるものだと考えられていた。

子供の頃は、公的機関である「ことばの教室」に通っていた。
言葉が出なかったからだと思う。

小学生になってから、私は担任に県立こども病院に行く様に勧められた(というよりほぼ強制)

ただ、1980年代当時は発達障害の概念がまだなかった。

なので、こども病院のお医者さんですら、「この子には何も異常はないですよ。
担任はMBDだと言うけど、その傾向は全くありません。
本当にMBDなら、知能指数は良くても80くらいまでしかない筈ですよ。
この子は知能指数が120以上ありますからね。
10歳だけど、頭脳年齢は15歳くらいです。
それじゃあ、まわりの生徒たちと話がまるで噛み合わないし、授業が簡単過ぎて詰まらなく感じる気持ちはボクにもよく解りますよ」くらいしか言っていなかった。

こども病院の主治医だった先生は、当時は副院長だったけど、私が中学3年くらいにはいつの間にか院長に昇格していた。

10代後半の頃に、こども病院時代にお世話になっていた先生が地方新聞に連載記事を書く様になった。
その中に、注意欠陥多動障害という新しい概念について書いてあった。

私は小学高学年の頃から同じ学年の友達は皆無だ。

グループに入るのもした事がない。

誰とも話が噛み合わないからだ。

私は誰よりも嫌われ者だ。
これに関しては右に出る人間は誰もいないだろうと自負している。
10代の頃は、人から好かれようと努力を続けているものの、変わり者扱いされる事、変人扱いされる事、「あの人と話していると、こっちまで変な人だと思われるから」と避けられるという様に空回りしていた。

だけど、途中から発想を180°変えたんだ。

好かれる努力はしない。
潔く諦める。
どうせなら、誰にも負けない、嫌われ者らしい生き方をしよう。

嫌われ者のまま、嫌われ者としての幸せを構築する。

「好かれたい」「人と仲良くしたい」「人と関わりたい」こういう気持ちを残らずかなぐり捨てた。
こういった気持ちを誰にも持たなくなってから、かえって物凄く楽になったし、人生が100倍楽しくなった\(^_^)/

「人と無理に関わらなくていいんだ。
寧ろ、幸せに生きるなら誰かと関わりたいとか誰かと仲良くしたいなんて思わないのがベストだ」そう実感する様になった。

世間一般の価値観とは逆行するけど、それが私にとっての幸せだ。

いつもおひとりさまなのは、誰かと関わるのとは比べ物にならないくらいに気楽なのだ(ノ^∇^)ノ

勿論、リアルだけでなくSNSでも友達や仲間は一切作らない主義(^^)

だって、人から好かれる事はとっくの昔に完璧に諦めたからね(^-^)v

誰ともつるむつもりはさらさない。

なので、これは独白。

これからも、誰も読まないのをいい事に、言いたい放題思った通りにここに正直な気持ちをありのままに綴ろう。
誰も読まないからこそ、思った通りに言いたい放題書ける(^o^)


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