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[compath体験記-vol.1-] あのとき、選択した自分へ。 ありがとうを。

2023.05.21-05.28
7泊8日でcompathの5月ワーケーションコース
「good vibesー心地良さの探究ー」に参加してきた。

この8日間はわたしにとってたくさんの気づきと学びとかけがえのない出会いがあった、本当に「心地よい」時間だった。

今、その心地よい余韻に包まれながら、このnoteを空港のロビーで書いている。

8日間のcompathで過ごした時間。
ことばになるものもならないものもあるけれど、ここに綴ってみたいと思う。
自分への備忘録を兼ねつつ、わたしの選択とcompathで過ごした時間が、また、だれかの選択のきっかけや後押しになれたらな、とも思いながら。

誰かの物語が、誰かの学びになる

安井早紀さんのnoteより。

まずは、ここにくるまでのストーリーを。

あのとき、選択した自分へ。ありがとうを。

compathとの出会いは、2020年。
島根で、魅力化事業のお仕事をされていて出会ったやさいさんこと安井早紀さんのFacebookの投稿からたどりついたnote。

まず、やさいさんの紡ぐことばに圧倒された。
なんて、素敵なんだ…!(スキ….!!!!)
こころにあふれてくる気持ちをどうことばにしていいのかわからなかった…
ちょうどコロナが始まり、いつかいつか、とおもっていたことが、簡単にできなくなってしまうことに気づいたとき。
海外で暮らして働いてみたいというきもちがうずうずと沸き起こってきていたタイミング。
「フォルケホイスコーレ」について知ったのもこの頃。
行きたいと思っていたフォルケホイスコーレを日本につくろうとしている。
すごい…!(語彙力足りない…) 
とりあえず、お話を聞きたい!
そんな思いで、compathのオンラインイベントにいくつか参加した。

それから、3年の時が流れ、わたしは2023年3月に退職し、6月からワーキングホリデーとフォルケホイスコーレに行くことにしていた。
それだけではなく、行きたいとおもっていたホイスコーレを津和野につくろうと仲間たちと動き出し、2回の開催を終えたところだった。
(3年前にcompathに出会ったときには想像もしなかった今がある。)

そして、フォルケホイスコーレのような場を日本で開くということをこれからも自分の人生とエネルギーをかけて長く続けていきたいと思うようになっていた。
一方で、フォルケホイスコーレを日本で開くということの難しさを感じていたりもした。
合宿を経て、日本各地のフォルケホイスコーレ実践者のみなさんに会いに行き、学びたいとも。
いろいろなきもちを抱えつつも、正直、このタイミングで東川に行くかどうか、かなり悩んだ。

6月に日本を発つ。
その前に、出国前最後のチャレンジとなるつわのホイスコーレ1weekの開催を控えている。
お金や時間、出国までの準備や津和野で過ごす時間のことを考えると、本当に、今なのか?
帰国してからでもいいのでは?と何度も思った。
不安も大きかった。

でも、やっぱりcompathに行きたい!compathで学びたい!
いつか、いつか、と思っていたら、いつかが突然やってこなくなることをわたしはコロナ禍で学んだ。
今、行かなかったら後悔する気がする。
揺れる心に何度も問いかけた結果。
心おもむく方向に思い切って舵を切り、航空券を取り、参加申し込みをした。

このとき、思い切って行動したわたしを褒めてあげたいし、こころからありがとう。と伝えたい。

わたしの選択を、快く送り出してくれた津和野のみんなや、迎えいれてくれたcompathのみなさんにもこの場をお借りして心からの感謝を伝えたい。
ありがとう。

初日に来てくださっていたcompathの卒業生に
「8日後には違った景色が見えるよ」と言われた。
まさに、その通りだった。

たった8日。
だけど、間違いなく、出発前のわたしとは違う、今のわたしがいる。
そう、自信をもって言える。


雨の音に包まれて。ドキドキと不安を抱えながら。

初日は、あいにくの雨。
少し早めに会場についたわたしは会場を整えるお手伝いをしながら、楽しみな気持ち以上にドキドキと不安を抱えていた。

みんなが徐々に集ってきて、始まった1日目。

まずは、compathのphilosophyについて体感。
このphilosophyを体感する時間がおもしろかった。
自分の鼓動を感じて。
隣に人がいる、を感じる。
数十分前にはじめましてをしたひとたちだけど、これからこの人たちと8日間を共にするんだな〜。
となりの人に触れながら、あたたかさと同時に冷たさも感じていた。
ふしぎな感覚。
わたしも緊張しているけど、もしかして隣のひともそうなのかも。
そして、ここには、男性も女性も年齢も肩書もなにもない。
そんなふうに感じている自分がいた。
自分がいて、隣にひとがいて、その存在を感じながら。
徐々に安心して身を委ねられるようになっていく、自分が開いていく。
深く、深呼吸できるようになっていった。

このcompath philosophyはまさに、この8日間でわたしが体感したことを
ことばにしてくれているな〜と、改めて読みながら感じたので、ここにも書きたいと思います。

<school for life Compath philosophy>
〜私の小さな問いから社会が変わる〜

ーenlightenment ー 心地よい余白の中で、心にあかりが灯る
急ぎ足の日々と心を守る鎧に、閉じ込めていた声も、置き去りにしていた夢中も、心地よい余白の中で、ひらいて、紐解いて、抱きしめる。
あなたのままでいられる場所が、人生を灯す心のあかりになる。

ーtogethernessー 共に暮らし、共につくり、互いの心の灯りを照らしあう
共同生活は楽しい。対話する他者がいる喜び、暮らしを共につくる楽しさ。
共同生活はめんどくさい。分かり合えない葛藤、多様性と共生の難しさ。
それでも、あなたの言葉でわたしの心のあかりは灯り、あなたとわたしがいるから生かしあえる。わたしたちという共同体を、共につくり、共に学ぶ。

ーpower to the peopleー ”東川町”に参加して、社会への手触りを取り戻す。
整頓され与えられるものが多い都市に、社会への手触りを感じづらくなりつつある現代。東川町に暮らす人たちの色や地位域を形づくる誇りの循環に触れて、答えがない町の未来をつくる余白に参加して、わたしたちの手の中にある、心地いい社会を自らつくる感触を取り戻す。

ーsense the earthー 地球との繋がりを感じ、世界への眼差しを蓄える。
大雪山の雄大な自然や、動物の息遣いから、生かされている喜びと不思議を感じる。すべてのものにいのちがあり、私たちも大きな流れのひとつであると思い出させてくれる。大地が積み重ねてきた年月の過去に思いを馳せて、地球の未来に考えを巡らせる。

チェックインがてら、外を歩いて自分が目に止まったものを持って帰ってくる、もしくは、今回は雨なので、写真に撮ってくることに。
わたしが撮ってきたのはこの3枚。

白樺の木を見て、あぁ〜北海道に来たんだな〜と改めて思った。
北海道はずっと来てみたかった場所。やっと来れた。
はじめての北海道がcompathになった。
大きな矢印が目に止まった。こっちだよ、大丈夫。進んでいいよ。と言われているみたい。
雨で黒々と濡れて光っていた大きな石たち。
どっしりと佇んでいる姿がなんだか安心する。
石のようにどっしりと腰をすえて、今ここの自分のきもちに目を向けたい。
そんなきもちが湧いてきた。

3枚を改めてみてみると、共通することは、どれも自分では簡単に動かせないもの。
直感的に撮ってきた3枚の写真だったけれど、自分の今のきもちを、ありありと映しているような気がした。

仕事を辞めてから2ヶ月。
時間はあるはずなのに、なにかとあわただしく、忙しい日々が続いていた。
すべて自分で決めていることなのに。
本当にこのまま6月にわたしは旅立てるのだろうか。
不安は日増しに大きくなるばかり。
あれもできていない、これもやりたいのにできない。
できない自分にばかり目がいく。
時間が溶けるように過ぎていく。
毎日、せかせかそわそわ。
あぁ〜今日もまた1日が終わってしまった。。。
そんなふうに思いながら眠りにつく。
時にその不安でいっぱいいっぱいになって、涙することもあった。
そんな中、本当にこのままcompathに行くのか…
けど、航空券は取ったし、申し込みもしたんだし、と、
気持ちの整理や準備はつかないままに
えいや!と飛行機に飛び乗って、ここまでやってきていた。

雨の中、外を赴くままに歩いて、ようやく、ふぅ〜と息をついて、今ここに目を向けられている。
日常の不安もせわしなさもここではどうしようもない。
ここまできてしまったら、今できることは何もできない。
いい意味で諦められるというか、せっかく行くと決めて行動したのだから、今はこのcompathでの8日間を楽しもうと思えるようになってきた。

「動かしようのないもの」に身を委ねてみた先に、自分が何を感じ、何を味わうのかをじっくり腰を据えて感じたい。
今は、ただただ、考え過ぎず、ここに集中して楽しみたい。
そんな気持ちが、まさにこの3枚に現れていた。
自分のきもちに改めて気づかせてくれた自分の直感をこの8日間は大事にしていこうと、改めて思った。

森のMEISHIで自己紹介する時間。
ついつい、名前や見た目、年齢や職業や活動、これまでの経歴を並べて自己紹介をしがちだけど、ここでは、それは横に置いて、自由に自分を表現する。
森の中で見つけてきたものを使って、一枚の布の上で好きなように表現していい。

ひめのMEISHI

同じような葉っぱや木の実、枝を拾ってきていても、違った意味があって。
相談していないのに、同じような意図で同じ素材をつかっていたりもして。
「そういう置き方もできるんだ!」
「なるほど、ここにはそんな意味があったんだ。」
「これはこう見えたんだけど…」
「無意識だったけど確かに言われてみればそうかも。」….
そんな対話を重ねるのが楽しかった。
いつもの自己紹介以上に、そのひとが感じているもの(もう一歩奥にあるものというか)に触れられた気がして、一気にそのひととの距離が縮まったような気がした。

この8日間、仕事や年齢について知ることがないまま、またね、と別れたひとも多かった。
これがcompathのおもしろさの一つなのかもしれないとわたしは思う。
なにをしているかや、年齢、性別はあくまでその人の一部分。
見えるもの、わかりやすいものがその人のすべてではない。
もっと、いろんなものを外しても、人と人はつながれる。
そんなことを体感できた時間だった。
同じものを見ていてもいろんな人がいて、いろんな見方がある。
自分だけでは見えない世界が広がるから他者とともに学ぶこと考えることは楽しい。

午後のジャーナリングの時間。

①あなたにとっての「心地よさ」は?
②今、感じていること。

わたしは2つ目の問いから書いていった。
その一部をここにシェアしたい。

雨の音、心地いい。ほわほわしている。波紋のような広がり。
緑がきれい。
どきどき→今、ここにいられてうれしい、楽しい、わくわく、あったかいきもち。
世界はつながっている。すれちがいながらも、今日こうして出会えたことに感謝とご縁を感じる。
いろんなものを抱えて、今、ここを選んでいるみなさんの背景を聴いてみたい。
一方でどこまでふみこんでいいかな。
これから8日間どんな日々になるか楽しみ。…

そこから1つ目の問いに自然とうつっていく。

わたしにとっての「心地よさ」とは…
人とのつながりを感じること
自然のゆたかさ
音楽
時の流れ(ゆったり、余白、追われていない)
味わえる
自分のきもちを聴けている、気持ちに余白やスペースがある
カフェオレ、あったかいお茶
雨の日に室内で雨の音を聴いていること
お散歩
おいしいものを囲む
いいなや好きの分かち合い
ストーリーを聴くこと
香り
他者に心を向けられること
力がぬけていること
飾らずありのままでいられる
図書館や本のある空間にいること
学ぶこと
深呼吸
風を感じること
あたたかさ、灯り…

もらった2つの問い
「今、感じていること」がそのまま「心地よさ」にも重なっていく。
ジャーナリングをしている最中に、この詩が浮かんできた。

生きる    谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

http://www.nanarokusha.com/ikiru_zenbun.htm

改めて、いい詩だよな〜と思いつつ、この8日間で自分が感じたことを、わたし版に書いてみたらどうなるだろう?書いてみたいな〜という気持ちがわいてきた。

書いたジャーナルをもとに、4人組になってひとりずつ語る。
そして、聴いてもらったひとからニーズカードを受け取る。
わたしが受け取ったのは、この8つ。

偶然にも3人がそれぞれにとったカードの頭文字が同じアルファベットだった。
(おもしろい…! )
みんなとシェアする中で感じたのは、「心地よさ」には、自分がどうあるか、がわたしにとっては大切だということ。
自分が心地よいときに、どんなものが必要なのかを知っていること、そして、いくつか選択肢をもっていることもわたしにとっては大切なのだと感じた。
シェアでおもしろいなと感じたのは、自分が心地よいかと他者の心地よさが交互に出てくるひとがいたり、もっと純粋に感情がするりと出てくるひとがいたり、人の目を気にしてしまう人がいたりして、共感しつつも、それぞれの感じたことが、自分にはなかった発想だったり、気づきだったりした。

また、自分が思っている自分と他者から見える自分は少し違ったりもして、自分では気づけないような部分にスポットライトを当ててもらえたような気にもなった。あったかいきもち。ことばを贈るっていいな。
プレゼントをもらったみたい。
満たされている。


すてきな出会いからはじまった月曜日。

2日目はフリータイム。
選択授業はヨガだったけれど、おもしろそう、受けてみたいとも思ったけど、今回、わたしはその選択をしなかった。
でも、その選択をしなかったから過ごせた今日がある。
全部は選べない。
選んだもの、選ばなかったもの…。
その先に見えた景色。見れなかったもの。…
そうやって、それぞれの人生はそれぞれらしく彩られていく。
だから、おもしろい。

せんとぴゅあで展示をしている、というのでみにいくことに。

おもしろそうな展示だったけれど、なんと残念なことに日曜で展示が終わっている。(がーん….)
月曜はお休みのよう。
あきらめきれず、外からじーっと眺めていたら、通りかかった職員さんが
「見ていく?」と鍵を開けてくださった。

しばらくすると、この展示の企画に関わった方とつくり手の方が来られて、お話をすることまでできた。
ちょうど、展示を変えるタイミングだったそう。
つくり手さんの想いを聴くと作品の見え方が変わってくる。
こんなうれしい偶然ってあるんだな〜と思いながら、お話ししていると、つくり手さんとの共通点がみえてくる。(故郷がわたしの暮らすまちの近くだった…)
世界はつながっているよな〜。驚くほどに。
思いがけない出会いだったけれど、出会えてよかった。聴けてよかった。
心がわ〜っと湧き立つような感覚。

展示の企画をされた方のことばが忘れられない。
「東川は小さな町だけど、本当に素敵でおもしろい出会いがたくさんありますよ。楽しんで。」
まさに、そのことば通り。
偶然なようで必然とも言える出会い。
きっと、今、会うべくしてあったんだろうな、とふしぎと思える出会いがこの8日間の間にたくさんあった。
そのひとつひとつにきっとなにかがある、今すぐはわからなくても。
そんなふうに今は思えるから、大切にしたい。

こころおもむくままに過ごした1日目。
こんな時間はひさしぶりだった。
たまたま目に止まった本を読んでみたり、ずっと読みたかった本をみつけて読んでみたり。
お散歩したり。素敵な椅子に座って、時間を気にせず、頭の中にあった、いろんな不安や考えごとを忘れて。
なにも決められていない、自分の心に寄り添えることが心地よかった。

北欧の素敵な椅子たちが展示されていて、テンションが上がる。
実際に座れるところまであって、そこに座って本を読む時間を楽しんだ。

1日目の夜はみんなでぎょうざをつくった。
ある参加者さんは「ぎょうざセラピー」と呼んで奥さんと餃子を作りながらいろいろお話されるらしい。素敵。
たしかに、餃子を包みながら、みなさんといろんな話ができた。
みんなでご飯をつくる時間は楽しくて好き。
ついつい、自分一人分だと面倒だなというきもちが勝ってしまうけれど。

みんなでつくって食べて。大家族のような8日間。あったかい。

餃子のたねができすぎて、餃子をつくってもつくっても終わらない無限餃子ループ状況に笑いながらも、手を動かす。
みんなでおいしい!といいながらお腹いっぱい食べる時間はあったかい。

(vol.2 につづく☞)

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