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はじまりの前の、ゼロの時間

北欧に100校ある大人の人生の学校"フォルケホイスコーレ"を創設したグルントヴィは、人間同士の"生きた言葉”での対話こそが一番の学びになると説いた。自分たちの手で国は創り直せると信じて”人間の生き様と言葉”に一番の価値をおいた人が作った、民衆のための学校。
2年前、デンマークのフォルケホイスコーレに訪れて、惚れこんだ理由を振り返ってみた。

”人はひとりひとり生まれてきた意義を持っている”
綺麗事過ぎて言葉にすることを躊躇ってきたけど、そうあってほしい。そんな願いが、いつもある。
大事にしたい願いを中心に置きながら、事業をつくろう。今回の旅は、誓いの旅になりました。

2年ぶりの、オランダとデンマーク教育視察の旅の帰り、寝静まった飛行機の中でそっと灯をつけて。
想いのやり場を指先にこめてしたためてみる。
ムカシバナシと、これからの話と。

"人種差別"から、"分かりあえないこと"へ

ふりかえれば、幼少期の経験がとても影響が大きいと思う。父の仕事の関係で幼稚園・小学校とイギリスで過ごした日々は、とても鮮明に覚えている。

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はじまりはめちゃくちゃ苦痛の日々だった。通っていたのは現地校。友達を作ろうにも英語がわからない。子どもの遠慮ない正直さが、時として残酷に機能する。言葉が通じない宇宙人のような存在だった私に、heyイヌごっこyeahみたいな感じで首輪をつけられて人間以下の扱いをされたことが何度もあるし、何かはわからないけど悪口言ってるんだなあという嘲笑の表情とお決まりのイエロー!は今でも脳裏で解像度高く再生できる。

ある日の授業が”人種差別”がテーマだった。私も被害者だとピンと来たので「きっと私は酷い目に合ってるんだと思う。可哀想。」さめざめと母に報告した。私目線での事件や(その日はルーシーという女の子に嫌なことをされたという話)心情を、ふんふん、と聞き終わったあとに母はこう言った。

「そのルーシーちゃんの方はどんな気持ちだったんだろうね?」

マジかよ!と内心思った。
てっきり慰めてくれて、あなたは悪くないわ可哀想にとぎゅーっと抱きしめてくれると思ったら、代わりに問いが返ってきた。
今では母の強さと優しさがわかるが、当時は見放されたようでガーンとなったし、なにより頭を叩かれたような衝撃を受けた。

わたしはルーシーの気持ちは、わからなかった。
わたしは自分のことばかりだった。

母の思惑通りか天然か、その一件から私の「ひとの気持ち」への興味の扉がパカッと開かれた。知ろうとすれば、見ようとすれば、色々なものが分かってきた。ルーシーが意地悪してしまう理由と兄弟の関係性、インド人のジャスプリートだけが必死に話しかけてくれた心の内、それでも全然理解できない人もいたりして。のっぺり白黒だった世界が、ひとつひとつ厚みと彩りが加わっていった。
わたしの”敵たち”は、いつのまにか”友たち”になっていた。仲良くなって、別れ惜しさにどろどろに泣きながら帰国した。

母の問いがきっかけで、私にとっては、
”人種差別”という自分ではどうしようもなく思える遠くの問題から、
”わかりあえないこと”という手の中の問題に変換された日だった。
違うけど、わかりあえるかもしれない、という希望と共に。

そんな話も、実は最近まで忘れていた。
思い出させてくれたのは、2年前にふと受けてみたストレングスファインダー。

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5つのうち「包含」だけしっくりこなかった。
なんだこれ弱そうだなあ、と思っている自分に、はっとした。

イギリスの経験で手に入れた共感力と想像力に、日本独特の空気を読む文化が相まって、帰国後生きづらかった時期があった。他人の見えない気持ちに振り回されすぎたり、ふわふわピエロのように立ち振る舞ったり。なんだか疲れて邪魔だなあと思って、感情を動かすのを止めた時期もあった。

それ以来、人の気持ちに敏感で他人を受け入れすぎることは、弱くて悪いことだと思っていた。弱い自分がイヤで強くなろうと願ってきたのに。
そんなヤツが1位に顔を出すもんだからびっくりした。認めたくなかったけど、意識をしないほど、ずっとそばにいたのだ。

"「包含」の資質が高い人は、相手を受け入れることができます"
”違うけどわかりあえるかもしれない、という希望をしつこく持ち続けられます”と解釈した。わたし流の、包含。
私を長年悩ませてきた弱みは、時間を経て、強みになって帰ってきた。
おかえり。

美鈴さんとポリシー

2019年3月、心の底から大好きだなあ、と思う人に出逢いました。
地域みらい留学の受け入れ先のひとつ、熊本県山都町の矢部高校を訪問したときのこと。高校のことを深く理解するために、町のことも知りたくって、と相談をしたところ、どの人も、ある女性を推薦してくれる。

「それなら下田美鈴さんに会いなよ」

大体「所属先+肩書+名前」で推薦されることが多いけど、今回は名前オンリー。手元にある連絡手段は電話番号のみ。大変失礼ながらちょっとした不安を抱えて、バスでごとごと山都町に向かったのだけど、
もう、この方がすごかった。

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下田さんは有機農法にこだわってお茶をつくられている農家さんで、
図書館がない山都町にイチから図書館をつくった方で、
山都町を盛り上げる女性の会「やまんまの会」理事長で、
海士町に惚れて高校魅力化を山都町矢部高校でもと熱心に動いている方で。(ここら辺から理解が追い付かないと思うのでリンクをどうぞ笑)

山都町への想いや行動力や次々と出てくる珍事件やエピソードにも驚くばかりで、すぐに山都町や美鈴さんのことを好きになってしまった。わたしがあれやこれやと質問攻めにするものだから、山都町めぐりも終盤に差し掛かったころ、美鈴さんのポリシーを教えてくれた。

私が大事にしていることはすんごくシンプル。
「明るくいること」
そうすると人が寄ってくるし、何かが始まる。これが私の強み。

そう、彼女の周りにはたくさんの人が集まってくる。
町を歩けば「あの時はありがとう!」「今日はなんだい?」と声をかけられて、町のお偉いさんから「そろそろあの話考えてくれた?」と仕事を持ちかけられている。美鈴さんに人が集まるし、美鈴さんを介して人がつながってゆく。

私の家には、窓際に花が飾ってあってね。
朝は窓に背を向けてても、帰宅すると花が窓の外の方を向いているの。
そう、太陽のある方に向くのよ。花は。
それを見るたび、生きとし生けるものは、明るいってのが好きなんだ。
もう遺伝子レベルで好きなんだ。って確認するのよ。

そうやって、今日も明るくあろう、と美鈴さんは毎日心に約束している。
「勉強も得意じゃなかったし、ずっと農業しかしてなかったのよ。」
「でも畑が全部、教えてくれた。」

彼女の言葉の裏に染み出てくる彼女の生き様や出逢った人たち、人生のよりどころにしている言葉の重さと美しさに感動して、助手席でちょっと涙が出た。

誰かの物語が、誰かの学びになる

小学生のころ、図書館にある偉人の伝記を読み漁りながら感動しつつ、世の中には伝記になる人生を送れる人と、そうではない人がいるのだと悟った。

でも、今の私が一番心を揺さぶられるのは、美鈴さんのような誰かの小さな、生きた物語だ。世界は、日本は、そんな物語に溢れている。

前職人事時代にたくさんの大学生の人生の話を聴いて、それぞれが見てきた情景や感受性に、ちょっと圧倒された。安易な言葉だけど、人ってすごいな、と心から思った。大学生の相談に乗るはずの私がいちばん、世界の捉え方を教えてもらい、傷みを癒してもらい、前に進む勇気をもらった。どんな人でも私は小さな学びと感動をもらった。

母校にお願いをして、母校の中3向けに”みらいダイアログ(7ページ)”という半年間のキャリア教育プログラムを作らせてもらったのもそんな経験から。教科書のすごい人や偉い人の講演よりも、身近な先輩との等身大の人生の話。多様な卒業生との将来・恋愛・進路・家庭・仕事のハナシ。なんとなく思っていたことが確信に変わった。

未来ダイアログ

伝記にならなくても、情熱大陸に出なくても、
あなたの人生だからこそ感じた、葛藤や悩み、憎しみや愛しさ、喜びは、
そのままで、誰かの心を癒す力がある。

一方で、大勢の人が、自分の物語に自信がないことにも気づいた。
「何かにならねば」と、未来の自分のために、今の自分を削って、しんどそうにしている人たちも多くて、触れるたび心がぎゅっとした。
ああ、これはわたしだ。と痛いほど気持ちがわかった。動揺もした。

しんどさの正体は、届かぬ努力をしていることへの負荷ではなくて、
虚像を追う力を得る代償として、今の自分を否定するという行為だ。
ダメだ、まだだ、誰かと比べて劣っている、と凹んだ擦り傷を指先でぐりぐりと深めていくような、知らずのうちの鈍痛。

自分と世界の捉え方を変えられて、鈍痛から抜け出せたのは、
人の出逢いやきっかけをもらえて、私がラッキーだっただけだ。

「あなたらしくそのままでなんてキレイごとだよ」という気持ちもわかる。
それでも。
わたしは、誰かの小さな物語に感動し「大丈夫」と言える人でありたい。そんな世界をつくりたい。でも、どうやって。
うじうじと葛藤と頭の中だけで考えている時期が続いた。

フォルケホイスコーレとの出逢い

そんなことを考えていた2年前、大学時代の友人だったかおると共にデンマークを旅して、大人のための人生の学校「フォルケホイスコーレ」に出逢った。


年齢・出身・経歴もばらばらの人たちが、寝食共に過ごす不思議な学校。共通の目的は「ちょっと立ち止まって人生について考えたい」。学ぶ内容は教養に近く、余白がたっぷり。様々な人の人生が交差して、誰かの物語が誰かの学びになっている。

これだ、と思った。

あと、なんというか、悲壮感がないのだ。悩みが集まる鬱々とした感じも神妙すぎる感じも一切。ふとよりみちをして、いろんな遊びや活動や学びを通じて、感受性を整えて、余白を謳歌して、人生を調律している感じ。調律出来たら、バーイmy family!と言いながら、自分が欲しい社会を作るためにまた自分の道へ。すごくナチュラル。

「なんで日本にこれないんだろうね、ほしいね。」

旅をするように日常から離れて、役割や期待のシールをぺりぺりと剥がしてみること。今いる世界だけが全てじゃないと肩の力を抜くこと。誰かに心から聴いてもらい心から語ること。そしてあなたの言葉や物語が誰かを癒すことを知ること。自分の感受性を信じ直せること。肩肘張らない大人の学び直し。人生のより道。共生。なんで日本じゃ作れないんだっけ。

気づいたらホイスコーレの空き教室に7時間くらい籠り、かおると二人で事業計画の第一稿を作っていた。言葉や妄想があふれてきた。

はじまりの前のゼロの時間

2年前に妄想レベルだったものがやっと構想といえるまで形になってきて、2020年はいよいよ「はじまりの年」になりそうだ。

最近、ある人に「その構想の話もっと話してよ、出来ることあるんだったら俺も手伝いたいんだから」と言われて、ハッとした。「やろうとしていることは壮大で、2人だけで出来るスケールじゃないんだから」と重ねていただいた。手放し、開くという気持ちも込めて、この文章をしたためている。

大切すぎたのだ。私にとって。
昔から自分のアイデンティティに近くて、否定されたくなくて、絶対にやりたいものほど、周りに内緒でこっそり勝手にやる癖がある(事後報告グセで何度身近な人を困らせてきたか)

2年前に、かおると対話しながら旅をした時間そのものが、わたしの人生の調律であり、人生の寄り道であり、2人の物語の交差点だった。孤独に走りがちな自分が、つながり、共に歩むことの本当の大事さが分かった(ありがとう、かおる)

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大事なものをいつもの癖で閉じて守ろうとしていた自分を見抜かれたようで、ギクッとした。そろそろ次のフェーズへ、踏み込むとき。

「これ日本に欲しいから、一緒に学校つくろうよ。」

そんな一言から始まって、2年間もふたりで構想を続けて、実際にはじまろうとしているだなんて。旅をする前の自分は予想できなかっただろう。
確実に、想像できない未来になってきていて、ゆっくり粘ってきた私たちと、応援してくれる人がたくさんいることを心から感謝と愛を。そして、次の想像できない未来へ。
(特に東川町の皆様に感謝。新田さん夫婦はじめ、皆さんがいなかったらまだ妄想し続けてたかもしれない。以下は、2人の大きなきっかけになった今夏のツアー企画を参加者のゆうきちがレポートしてくれたもの)

今回行ってきた、二度目のデンマークの旅は、未来に向けての誓いの旅になりました。惚れ込んだ情景をもう一度味わい、その情景がつくられた歴史的背景を知り、想いある尊敬する人たちに出逢って、大事にしたいことを対話して、やっぱり好きなんだよなあ、という感情を再確認。

「幸せの再定義をしたい」
「わたしと、世界(社会)のリフレーミング」
事業の方向性と、大事にしたいキーワードも、見えてきた。

「フォルケってゼロの時間なんですよ」 

今回の旅で出逢った方がプレゼントしてくれた言葉。
始まりの前の0の時間。フォルケをつくるはじまりの前のゼロの時間のしめくくりとして、デンマークオランダの旅は最高のものになりました。

旅路についてもふたりで記事にしていきたいと思います。
順次公開。お楽しみに。

(安井 早紀)

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